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落書き帳の10ページ目

◆無断転載 禁止(ご確認下さい)◆ https://xxaoixx.blog.shinobi.jp/Entry/73/

[36] 「プレイヤーの資質」の差

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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*

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 これは「ゲームの才能」や「ゲームが上手い・下手」という意味ではなく、ゲームをゲームとしてどこまで許容出来るか?「ゲームだから当たり前」と思えるか。
 【Final Fantasy 8】というゲームを『ジャンクション(=プレイ)』するプレイヤーに、【Final Fantasy 8】を『ジャンクション(=プレイ)』する素質が備わっているかって意味です。

 昔からの「ゲームハード」と「ゲーム好き」って、一緒に成長してきてると思うんですよね。
 どういう事かと言うと、FCソフトなどはとても少ない容量の中、制作陣の涙ぐましい創意工夫によって作られていました。
 当然、容量&技術的に出来る事・出来ない事が出てきます。
 でも当時はそれが当たり前だったので、この頃からのファンは「それが当たり前」と思える資質が根差している訳です。いきなり城の前の平原からゲームがスタートしようが、主人公の歩行グラフィックが正面しかなかろうが「それが当たり前」「別に普通」で通った訳です。

 FCソフトには必要最小限しか詰め込めなかったけど、SCFソフトではゲームの個性や便利なシステム、つまり「ゲームならではの要素」が盛り込めるようになりました。ゲームの個性があるから【FF】は【FF】だし、【DQ】は【DQ】な訳です。パーティメンバーも数が増えて賑やかになったし、それに伴い装備品・魔法・スキルなどの種類も増えました。それを管理する便利なシステムも構築されます。
 この頃のファン&以前からのファンにはやっぱり「【FF】の世界ではそれが当たり前(特徴・個性)」と思える資質が自然と備わる訳です。

 そして、プレステ(PS)の時代。FC・SFCと比べたら、出来る事は格段に増えた筈です。
 なら「じゃあ、これまで以上のボリュームの作品を創るぞ!」と行きたいトコですが・・・スクウェアが「全世界の人々」を対象にしたかったとしたら、ちょっと困ったんじゃないかな?
 他社の例えで申し訳ないですが。小学生の頃に【DQ(FC時代)】やってた人が、30年振りに見た【DQⅪ】で勇者が人様の家のツボやカボチャを躊躇なく破壊してるのを見て「あの頃は何とも思わんかったけど・・・こうやって実際に見ると、結構ヒドイな」って感じる感覚に近いんじゃないかと。
 つまり「全世界の人々」でしかも「新規層」って事は、今までゲームをしてきた日本人プレイヤーにとっては「ゲームなんだから当たり前」で済ませられる「当たり前」が、「当たり前で済まない」。
 「当たり前で済まない」って事は、いちいち「何でこうなの?」「これって何で?変じゃない?」って違和感になる=やっぱり「共感してもらえない」という悪循環再び。

 だから【FF8】は「プレイヤーの資質の差」を埋める為に、「プレイヤーの資質が無ければ受け入れられない【FF】らしさ」を捨てたようなゲームになってるんじゃないかな?
Q「何で1人パーティーなのに、移動中は1人しか居ないんですか?」
A「頑張って3人歩かせます。リノアもおんぶします。」
Q「何も居ないのに、何でモンスター出て来るんですか?」
A「エンカウント制にしようとは思ったけど、容量的に無理でした。」
Q「魔法を使うと『MP』が減るけど、何が減ってるんですか?」
A「今回は個数ストック制にしたので『MP』はありません。」
Q「アイテムはとにかく、何でモンスターがお金を落とすんですか?」
A「今回は給料制にします。カードは名刺代わりです。」
Q「武器って、そんなホイホイ買い替える物かな?」
A「キャラ専用の武器を、大事にカスタマイズするのならイイ?」
Q「みんな体格とか違うのに、防具使い回せるって変じゃないですか?」
A「今回は防具無しにしましょう。」
Q「あんなにいっぱいのアイテム、どうやって持ち運んでるの?」
A「今回は『G.F』が持ってくれてます。」
Q「セーブポイントって、どういう理屈ですか?見えてるんですか?」
A「目視可能な設備です。ちゃんと整備もしてます。」

Q「人の家の中を勝手に漁ってアイテム取るって、盗みじゃないですか?」
Q「何でそこら中に、宝箱が置いてあるんですか?」
Q「他の人達が宝箱を開けないのは何でですか?」
Q「ぶっちゃけ、ラスダンにご丁寧に宝箱あるって変じゃないですか?」
 ・・・等々。ゲームやってる人なら「そんなのゲームなんだから、別にそれでイイやん?」って納得できる「ゲームでは当たり前」を、「全世界の人々」向けに全部「普通の当たり前」に置き換えていったんじゃないかな?
 でも正直、その理由でそこまでやるなら「とことんまでやってやろうじゃないか!」って意地のような物を感じますけどね。何もそこまでやらなくても・・・って言うか。単純に「全世界の人々」が受け入れやすいように調整するなら、もっとストーリーを分かりやすくする方が先決じゃないかな・・・とか。全世界の人々が共感しやすいようにする為だけにしては、ちょっと舵取りが極端な気はしますけど。

 もしかしたら、スクウェアは「世界に合わせたリアルSF路線=【FF8】(1999年2月11日)」と、「あくまでも【FF】らしさを貫くファンタジー路線=【FF9】(2000年7月7日)」。どちらが世界的に受け入れられるかで、これからの方向性を見極めようとしてたのかなぁ・・・?
 最初からそのつもりの同時進行だったのか、【FF8】発売後の評価を踏まえて【FF9】を「原点回帰」的なゲームにしたのか・・・発売時期が一年半後ってどうなんだろ?

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[35] ハード性能の向上による視覚化

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 ハード性能向上の恩恵の一つが「演出面の強化」だと思うんですが・・・実はこの「演出面の強化」って【FF8】の場合は、イイ事ばっかりじゃないのかなって思うんです。
 どういう事かと言うと、何でもかんでも視覚化されてしまうと幻想の余地がないからです。変な例えかもしれませんが・・・SFC・FC時代のドット絵って、ほどよくモザイクが掛かった状態だったんじゃないかな、と。

 例えば、EDで墓前報告・・・よくありますよね?【FF8】でもラグナがレインの墓前を訪れていました。
 一昔前のSFC・FC時代のドット絵なら、灰色の四角い物体の前or十字架の前にキャラを立たせておけば、「あぁ、今こんな風に報告してるんだろうな」と、プレイヤーが勝手に想像してくれていました。この「勝手に」というのが大事で、プレイヤーが自分でも無意識の内に想像している「勝手な想像」は、間違いなくプレイヤー自身が「共感できる幻想」な訳です。だって自分自身が生み出した幻想なんだから。どの程度の「勝手な想像」が出来るかは個人差があるにせよ・・・自分自身の「勝手な想像」に対して「そんなのオカシイ!」と批判する人はあまり居ないでしょう。
 それに対して演出面が強化された【FF8】では、「墓石はどんなタイプにする?」「表記は英語でイイの?」「合掌・・・はオカシイか。でも手を組む(キリスト教)もなぁ・・・。」など、色々な情報を逐一視覚的に提示する必要が出てくる訳です。
 墓前報告に限ってしまうと大したことないように感じるかもしれませんが・・・これを全編通して世界中の人々の感性(習慣・宗教的タブーなど)に気を配りながら作らないといけない訳です。
 確かに美麗なCGとかムービーとか、明確に伝えたいビジョンがある場合には「世界中の人々に同じイメージを植え付けられる」という意味でも有効だろうけど。曖昧にぼかしておきたい(=プレイヤーの幻想に任せておきたい)部分まで、全部一律に情報提供しなきゃならないってのは「世界中の人々」が対象の『【FF8】としては大変だろうな・・・と、思う訳です。

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 ここからは横に逸れますが、ついでに書いておくと・・・【FF8】に限って言えば、幻想の余地がなくなると「秘密・隠し事がしにくい」のも困るんじゃないかな?
 七瀬は【FF8】はプレイヤーに対して秘密・隠し事をしている(しかも答え合わせをしていない)と思っています。つまり作中に色々な幻想の種という謎を曖昧な形を取る事で誤魔化しつつ散りばめているんじゃないか、と。

 例えば、スコールがエルオーネに頼んでリノアの過去に飛ばしてもらうイベント。ゆっくり振り返るアルティミシアに被せて『誰だ!? 出て行け!』という台詞が表示されますが・・・この台詞、誰の台詞だと思いますか?
 普通に考えれば「スコール」の台詞です、多分。
 でも、こういう風に考えることもできます。
 その場に居ない時間さえも超えて存在するスコールの『誰だ!? 出て行け!』という台詞が、アルティミシアには聞こえていた。だからゆっくりと振り返り「こちら=スコール(プレイヤー)」の方を見て『誰だ!? 出て行け!』と言い放ち、スコールをリノアの過去から弾き出した。

 真相がどうかは、七瀬には分かりません。それは受け取り手、次第だと思います。
 でも事実として、一つの場面(=幻想の種)から色々な幻想が派生するようになっている。プレイヤーの感じ方次第で幻想物語が広がるようになっている。【FF8】の本質的な創りは、そういうトコにある気が七瀬はします。

 もしそうだとすると・・・【FF8】は【FF7】みたいなリメイクは、しないんじゃないかと思います。だってフルボイスにしたら、さっきの『誰だ!? 出て行け!』みたいな幻想の種が全部吹っ飛んじゃうので。
 【FF8】が【FF8】である為には、余計な事は一切出来ないんじゃないかな?
 当時以上に低スペックになっても再現できないし、高スペックになったからと言って今の【FF8】以上の物にはならない。当時の技術のギリギリを責めたのが【FF8】・・・って事じゃないでしょうか。

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[34] 『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い

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 これは以前、他の記事にも書きましたが。人種差別的な事を言ってるのではなくて純粋に、育ってきた宗教・文化・習慣・生活・教育その他諸々違う世界中の人々が、同じ感覚で【FF8】というゲームを感じる事が出来るのか?って話です。
 例えば、幼少期にどんな遊びをしどんな童謡を歌って育ってきたか「共感出来ない」ブラジル人(高校生)にも「共感してもらえる」ゲームを、日本人(30代スタッフ)が考えなきゃならないって事ですよね?それってよく考えたら「そりゃプロだから、何とかするだろ?」で済む話でしょうか?
 そりゃ、事前調査すれば知識としては分かるかもしれませんが・・・やっぱり世界中の人々と「同じ感覚を持つ」事は無理だと思うんですよね。「俺は根っからの日本人であり、アメリカ人であり、イタリア人であり、ブラジル人でもある!」・・・って。そこまで行くと逆に自分自身が「・・・俺は、何野郎だんだ?」って、自己が保てなくなるよ。

 そういうレベルの事を書くと「そこまで大袈裟かなぁ・・・?」って思われるかもしれませんが。ゲームの中でも特にRPGって幻想を見せるジャンルだと思うんですよね。
 極端な話。面白いストーリーがあればそれに越した事は無いけど、ストーリーがそこそこ程度でも、メイン部分が面白ければ楽しめるジャンルもありますよね?パズルゲームとか、アクションゲームとか。
 例えば・・・格ゲーなんかが分かりやすいかな?格ゲーに「キャラ要素・ストーリー」を付加させる事で、SNKはカプコンとは違うファン層(=女性層)を獲得しました。じゃあ、そういう女性層が本当に格闘ゲームをやり込んでいたか言うと必ずしもそうでは無く、「キャラが好きだから」と割り切ってる人も多かったように思います。
 でも、そこまで「女性層に魅力的」と思われた「キャラ要素・ストーリー」が、従来の格ゲー好きにとっても大事だったかと言うと・・・多分、彼らにとっては然程重要な要素では無かったんじゃないかと思います。まぁ「キャラ関係無しで強キャラ3人で組む=強ければイイ」ってのも極端な一部の人だけだと思うけど、好きなキャラだからと言って「草薙 京の血液型はB型(RH-)で、炎使いなのに得意スポーツはアイスホッケー」ってな事までリサーチしてゲーセンで対戦してる人って、どれくらい居ただろって話。

 何が言いたいかと言うと・・・確かに「キャラ要素・ストーリー=付加価値」ってジャンルも存在するかもしれないけど、RPGって「キャラ要素・ストーリー=生命線」だと思うんです。ヒロインの性格だけでボロカスに言われるくらいだし。だから「【FF8】の世界に共感してもらえるか」ってのは、どんだけ気を配っても配り過ぎって事が無いくらいに大事にしてた部分じゃないかなって・・・まぁ、想像ですが。

 因みにヒロインの事を書くと「寧ろ、リノアなんか全然共感出来ない!」って方も居られるかもしれませんが・・・それは少し待ってください。
 確かに「リノア」自身には「共感できない」かもしれませんが。もしも制作陣が「わざとそう思われるようにリノアというキャラを作っていた」としたらどうでしょうか?
 七瀬はそれなら「プレイヤーに、制作陣と同じイメージを持たせることに成功した」という事になるので、それはやっぱり「共感できている」んだと思うのですが・・・どう?

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FF8:[33] 【FF8】は、難産の末に生まれた?

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【七瀬の幻想による筋書き】
①難産の末に生まれた『主人公・スコール』=【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだった。
②「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
③スクウェアは「今まで支えてくれたファン」が「その人の【FF8】という幻想物語」を描いてくれると信じたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。
④【FF8】を世に送り出して、スクウェアは死ぬ。死んでしまうかもしれない。レインのお産と重ねていたとすれば、それ位の覚悟を持っての【FF8】だった。

 気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。

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 ゲーム中で「難産の末に生まれたのは主人公・スコール」ですが。実はそれは【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだったという事を示してたんじゃないかな?

 大前提の【スクウェアが【FF8】に込めた想い?】にも書きましたが。七瀬は、【FF8】は「全世界の人々」対象に創られている&スクウェアは【FF8】というゲームで「多様性を受け入れる事の大切さ」を伝えたかったんじゃないかと思っているのですが・・・このメッセージを一番痛感していたのは、他ならぬスクウェアだったんじゃないかと思うんです。

【『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い】
【ハード性能の向上による視覚化】
【「プレイヤーの資質」の差】

 長くなるので別記事にまとめましたが・・・こういう事情を考えたら、七瀬的には【FF】らしくない【FF8】が誕生しても、理屈としては通る気がします。・・・気持ちとしては複雑ですが。

 「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
 多分、スクウェア内部でも意見が分かれたんじゃないかと思います。
「今までの【FF】が評価されてここまで来たんだから、
 今までの【FF】で世界に挑むべきだ!」
「いくら良い商品でも、手に取ってもらえなければ意味がない。
 プレイしてもらわなければ、その良さは伝わらない。
 今はとにかく「世界に受け入れられる事」が優先だ。」
「それでは、今までの日本のファンはどうなるんですか?
 世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てるんですか?!」
 まぁ・・・全部、七瀬の勝手な想像ですけどね。関係者の間で、そういう厳しいやり取りがあったんじゃないかなぁと。
 勿論、「世界基準の【FF】」と「今までの【FF】」。どちらを誰が支持したのかは分かりません。誰が、どの部署が、どの会社が言い出したのかも分かりません。
 でも金儲け的な意味だけではなく「売れなきゃ話にならない」ってのは真実なので、「世界で売れるFF」を創る必要があったのは皆、同じでしょう。その方向性が違うだけで。

 出来上がった【FF8】を見る限り、「世界基準の【FF】」を選んだんだろうな・・・とは思いますが。だからと言ってスクウェアが「世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てた」って事ではないと思います。
 表向きには「世界基準の【FF】」ですが、それでは「今まで支えてくれたファン」の期待に応える事が出来ないのは、スクウェアは分かっていた筈です。だって「生みの親」なんだから。
 だからスクウェアは「今まで支えてくれたファン」の為に幻想の種を撒いた。「今まで支えてくれたファン」なら、その幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を生み出してくれるに違いない。そういう希望が込められていたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。「伏線が未回収でストーリーが分かりにくい」と言われる【FF8】になっている。

「【FF】はこんなゲームで終わる筈がない。
 きっと何か隠されたストーリーがある筈だ!」
「【FF】の事だから、他のイベントとリンクしてるんじゃないか?」

幻想幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」
「【FF8】に【FF】という幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」

 その夢が「リノア=アルティミシア説」であったり、「スコール死亡説」であったり、「世界ループ説」であったりするなら・・・それはスクウェアの希望が叶ったという事。
 スクウェアが咲かせる事が出来なかった幻想物語。
 今の時代となっては「今まで支えてくれたファン」ではないかもしれませんが。「熱心なファン」が、幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を見事に咲かせてくれた・・・っていう事じゃないかな?

 そういう意味で【FF8】はスコール同様、難産の末に生まれたと、七瀬は思っています。
 でも・・・だとすると、実はもう一つ大きな覚悟を示してたんじゃないかな?
 スコールを生んだ後。恐らく難産の末にレインは亡くなりました。
 もしも制作陣が、レインとスクウェア&スコールと【FF8】を重ねていたのなら。
 【FF8】を世に送り出した後、スクウェアは死んだ。少なくとも「死ぬ覚悟」を持っての【FF8】だった。
 制作陣は決して「ダメならダメで何とかなるだろ」みたいな気持ちで『FF』らしくない【FF8】を創ったのではなかったんだろうと・・・七瀬は当時のスクウェア制作陣を信じています。

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FF8:[32] 『アルティミシアの時代』って、いつなの?

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【七瀬の幻想による筋書き】
①ゲーム本編では「イデアの何代も何代も後の、遠い未来の魔女」という事以外は分からない。
②七瀬の解釈で言えば、地上の人々の「負のエネルギー」によって『Artemisia』が『Ultimecia』になってしまう未来。
③それが何年後なのかは、地上の人々が月に向ける「負のエネルギー量」次第なので、本編終了後の地上の人々の行い次第で変動する。

 気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。

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