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落書き帳の10ページ目

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FF15:「聖者」と「羊飼い」と「人狼」《雑記 10》

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《今回の御品書き (FF15・二次創作モドキです) 》
 【羊飼いのイズニアさん ≠「アーデン・イズニア」】
 【イズニアは何故「羊飼い」だった?】
 【彼の目には、世界はどう映っていたのか?】
 【「イズニアの目=ウルフアイ」から見る世界】
 【アーデンの目には、どう映ってる?】
 【きみの瞳に映る わたしは何色ですか?】

*今回は、ちょっと本線から脱線してしまうので《雑記》としました。

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 前回の記事で「イズニア=羊飼い」と、書いた訳ですが。

 この「イズニア=羊飼い」というのは、早いウチからそう見えていたんだけど。
 いざ、文章にしてみると「思った以上に、羊飼いに拘りを感じるな(「神様から与えられた天職」とか)」と思ったのと。
 彼が「羊飼い」という発想になったからこそ、「人狼」という要素に結び付いた事を考えると。
 この「羊飼い」にこそ、相反する「聖者」&「人狼」という要素が結び付いているのなら。
 彼を羊飼いにした理由が「見た目が羊飼いっぽいから」だけでは、流石にバランスが悪い気がして。
 で、行き着いた疑問が、

「イズニアは、何で羊飼いを仕事に選んだろう・・・?」

 正直「いや、そんな事を言われても・・・」って感じだと思いますが。

 色々と考えた結果。自分の中では、一応、納得が出来る筋書きが見えたので。
 覚え書きがてらに、ココに書き記しておこうと思います。

 なので「イズニアは、羊飼いなんだよ!」って言われて、無条件に「そうなんだ~」って思える方は、別に読み飛ばしていただいても大丈夫・・・だと思いますが。
 まぁ、何か発見・・・という程、大袈裟なモノでなくても、気付き位はあるかもしれませんので。
 お時間あれば、読んでやって頂けると嬉しいです。

 後、今回の内容。自分的には「色々と調べた上でのイメージ」と言う事で。
 不勉強&配慮が足らず、気分を害される部分もあるかもしれません。
 悪意が無いとは言え、その様な方が居られましたら、申し訳ございません。

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【羊飼いのイズニアさん ≠「アーデン・イズニア」】
 本題の前に、まずは彼の名前についての補足なんですが。

 【FF15】で、アーデン本人が「アーデン・イズニア 本名」と、言っていましたが。
 今回の二次創作では、「アーデン・イズニア」というのは、「アーデン(名)・イズニア(姓)」ではなく。
 「アーデン・イズニア」=「Ardyn is near」=「アーデンに近い」・・・つまり「アーデンに似た人物」という意味を表す言葉だったんだけど。
 それが長い長い年月と、たくさんの「イオスの世界(子要素)」を繰り返すうちに、後世の人々の勘違いによって、「アーデン(名)・イズニア(姓)」という「名前」になってしまった・・・そういう考え方。

 なので【エピソード・アーデン】で語られていた、過去の記憶の中のアーデンを「イズニア」と呼んでいますが、これは便宜上の事であって。
 彼のフルネームが「アーデン・イズニア」という意味ではありません。

 だとしたら「じゃあ、彼のフルネームはどうなるの?」って話ですが。
 前にも書きましたが、「存在がソックリだったから」と言う理由で、アーデンと混同される程なので、名前は「アーデン」だったのかな・・・とは思うんですけど。
 そんな大昔の下流層とされる羊飼いだったら、そもそも「姓」に値する呼称を持っていなかったんじゃないかなって。

 つまり彼は「姓」を持たない身分に生まれた、「アーデン」という名前の羊飼いで。
 後世、アーデンに近い人物として「アーデン・イズニア」と、扱われるようになり。
 真実を知る人間が居なくなった更に後世では、「名前の後ろ=「姓」に当たる部分」にある「イズニア」が「姓」と勘違いされる様になってしまった。

 あくまでもイメージですけど・・・もしも彼が自身の「姓」を持っていれば、そんな勘違いは起こりにくかったんじゃないかな、と。
 だってもし彼が「アーデン・〇〇〇」って、ちゃんの自分のフルネームを持っていたら。
 いくら「アーデンに近い」って理由から「アーデン・イズニア」って扱われるようになっても、
「でもこの人のフルネームは「アーデン・〇〇〇」だから。
 この「アーデン・イズニア」の「イズニア」っていうのは、
 姓名の「姓」ではない、別の意味だよね?」
 って、気付いてもらえるだろうから。

 彼が自身の「姓」を持っておらず。
 本来「姓」が収まるべき部分に「イズニア」が収まっていたせいで。
 「アーデン・イズニア」⇒「アーデン(名)・イズニア(姓)」という勘違いを、誘発する事になってしまった。

 後・・・メタい理由に即した考え方を付け足すなら。
 こうして書いている様に「Ardyn is near」だったら、文法的に気付くと思うので。
 文献なんかに「Ardyn is near」と書かれる前の口伝の時点で、既に「アーデン(名)・イズニア(姓)」って勘違いされてたんじゃないかな?
 つまり「イズニア」って「音」で聞く分には、固有名詞なのか何なのか判断出来なかったので。
 ココで「アーデンって名前の後ろだから、イズニアって姓だろう」って思い込みからの勘違いが起きてしまい。
 それを基に、いざ文字として文献に残すってなった時に、
「でも・・・アーデン・イズニアって、どう書くの?」ってなり。
 当然「イズニア」なんて「存在しない姓」を示すスペルなんか無かったので、
「そこは分からんから・・・「Ardyn Izunia」って、表記だけ合わせるか?」
 ってなった・・・こういう一連の流れ&イメージ。

 という訳で、彼は「羊飼いのアーデンさん」であって、「アーデン・イズニア」という名前では無いんですが。
 ここから名前を捏造しても、更にややこしくなるので・・・彼の事は今まで通り「イズニア」と表記します。

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【イズニアは何故「羊飼い」だった?】
 で、やっとこ本題の、
「イズニアは、何で羊飼いを仕事に選んだろう・・・?」
 って話なんですが・・・多分「そんなモン、分かる訳ない」ってのが正解だと思います。
 だってそもそも【FF15】【エピソード・アーデン】の中に、「アーデン・イズニア=羊飼い」って設定が無いんだから。

 でも今回は、自分の二次創作での話で。
 その中でイズニアは「とても信仰心の強い、今の仕事を神が与えた天職だと思っている羊飼い」で「羊飼いだったからこそ、村人たちからも人狼と疑われる事になってしまった」という設定になっているので。
 既に決まっている「聖者」&「人狼」と言う要素を頭に置いた状態で、両方に跨っている「羊飼い」に繋がるルートを模索する・・・そういう感じ。

 なので単純に「羊飼い」⇒「聖者」&「人狼」って、一方通行に進むのではなく、あっちゃこっちゃから矢印が進む事になったり、途中で止まったりする事になるかと思いますが・・・ここはもう、自分でも上手く頭の中を整理整頓出来ないので。
 申し訳ございませんが、そこは頑張って追い掛けて来て下さい。

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 まず「イズニアは、何で羊飼いを仕事に選んだろう・・・?」って考えた時の、一番最初の問題は「普通、自ら進んで羊飼いという職業を選ばないだろう」ってトコ。
 これはあくまでも「現実の歴史」のイメージですが・・・前に書いた様に羊飼いという仕事は、一般的に社会的地位が低い職業だったし。
 仕事柄、一か所に留まる事も難しく・・・そのせいもあって、コミュニティーから外れた余所者と見られてしまい。
 そんななので村人たちには警戒されてしまい、彼らと良好な人間関係を築くのも難しかった。
 それに羊飼いの多くが「所帯を持たない男性」だったという部分を見ても、単純に「羊が好きだから」って理由だけで羊飼いになった・・・とは、思えない。
 だってあまりにも「手に出来ないモノ」「諦めざるをえないモノ」が多過ぎるし。
 仮に本人がそれでもと望んだとしても・・・多分、親兄弟が反対する。そんな職業だろうから。

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 という訳で、違う角度から「どういう状況なら、イズニアが羊飼いにならざるをえなかったか?」って考えてみる。

 この場合、一番最初に思い付くのは「家業を継いだ」という可能性。
 さっき書いた様に、イズニアが「姓」を持っていないのなら「彼の家は「姓」を持つ事が許される様な家柄では無かった」って事になるので。
 もしかしたら「羊飼い」としては成功している家(=金銭的には裕福)だった可能性もあるけど。
 それでも所詮は「羊飼い」・・・という事で、社会的地位は低く、周囲からも認めて貰えない。そういう家だったのかもしれない。

 で、この「彼の親が、羊飼いとして成功している家業を、息子・イズニアに譲った」場合ですが。
 まぁ、譲ったとは言っても、この場合「羊飼いを引退」ってのは無いと思うので(イズニアの年齢から逆算しても、そんなに高齢では無いだろうし)。不慮の事故とか病気で亡くなったって事になるとは思いますが。
 この場合に問題になるのは、生業としては成功していたとしても、周囲から蔑まされる羊飼いという職業に対して、
「これこそ、神が与えた天職だ・・・!」
 って、ここまで前向きに捉える事が出来るかな・・・ってトコ。
 確かに「今の自分があるのは、父が羊飼いとして家族を養ってくれたおかげだ」と思う事が出来たなら、周囲が何と言おうがイズニア自身は「羊飼い=尊い職業」と思えたかもしれない。
 でも彼が「羊飼い=尊い職業」として、父の傍で「羊飼い」というモノを見ていれば見ている程、周囲からの差別的な扱いを目の当たりにしていただろうから・・・やっぱりそれを、心の底から純粋に「神が与えた天職」って捉えるのは難しくないかな?

 それに万万が一・・・イズニアがとても父想いで「いつかは自分も羊飼いになりたい!」と、元々願っていたとしても。
 イズニアが「出来の良い青年」であれば有る程、残された他の家族は「貴方なら、もっと良い仕事が選べるでしょうに・・・?」って引き留めないかな?
 極論、今の羊たちを売り払って、それを元手に街で仕事を始める・・・とか。
 羊飼いという仕事の厳しさを知っているからこそ、母親は「息子には安定した仕事に就いて、お嫁さんを貰って、幸せな家庭を築いて欲しい」って思うモンじゃないかな?
 もしそれを涙ながらに母親が訴えたら・・・イズニアは「それらを諦めてでも、自分は羊飼いになりたいんだ」って言えるかな?

 そういう風に順に考えて行くと、この一番有り得そうな「家業を継いだ」という可能性は、意外と無さそうに思えて来る。

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 じゃあ「自ら望んで選んだ」訳でも、「家業を押し付けられた」訳でも、「望んで継いだ」訳でも無いのなら・・・何でイズニアは「羊飼い」って仕事を選んだんだろう?

 そこで残った可能性は「イズニアは、他の仕事を選ぶ事が出来なかった」・・・つまり彼は何らかのハンデを背負っていて、世間一般的な仕事に就く事が困難だった。
 だから人との接触が少なく、人の目を気にせず仕事&生活が出来る「羊飼い」という仕事を、「自分に相応しい仕事=天職」として選んだ・・・って可能性。

 が、浮かんだものの・・・一見したトコ、そんなハンデを背負っている様には見えない。
 だってあの人「アーデンのソックリさん」なら、コミュニケーション能力(+見た目)はSランクだろうし。
 仕事柄ミサに行けない彼が信仰の拠り所にするのはバイブル・・・つまり文字の読み書きは出来ただろうし(識字率を考えれば、寧ろ学がある方)。
 そもそも一人で羊飼いという仕事を回しているのなら、読み書き計算に加え、仕事をしていく上で必要になる常識&その他諸々の知識も持っていた筈。
 じゃあ、身体的なハンデかと言うと・・・「街でも仕事に就けない類の持病持ち」なら、とても羊飼いなんて出来ないだろうし(いくら民間療法に詳しくても、倒れたらどうしようもない)。
 生まれ付きの身体的障がいor過去に負った怪我が原因・・・と言うには、半裸のイズニアの体は「傷どころか、ホクロ一つ無い綺麗な体」に見えるので、それも無さそう(理由付けとして扱うには、見えるトコに無いと意味が無い)。
 と、まぁ・・・やっぱり「一見したトコ」そんなハンデを背負っている様には見えない。

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【彼の目には、世界はどう映っていたのか?】
 そう「一見したトコ」分からない・・・つまりそれって「他者から見ても分からない五感」のウチのどれかが、不自由だったんじゃないかなって。

 で、そう思い当たった時に思い出したのが、以前調べた「アーデンの目」の事。
 旧約 50でも「彼ならこういう話し&言い方をするだろうな(+すっごい目で語って来そう)」なんて書いていた、主張の強いアーデンの目ですが。

 まず一つ目が「アーデンの目の印象」について。
 アーデンの目の印象って、初対面のガーディナ渡船場の時はそうでも無かったんだけど。
 次のペゴラー展望公園で再会した時の、真っ直ぐコッチを見て来る目が凄く印象的で。
 美男美女キャラの目がキレイなのは、そりゃそうだけど。
 何て言うか・・・目って、そう言うの関係無く。
 キレイなモンは、キレイなんだなって。

 それに加えてアーデンに対しては「独特な言い回しで、煙に巻く」⇒「嘘はついていないけど、意図的に曖昧な言い方をしている」⇒「彼が本当に言いたい事は何なのか?」って。
 要は「彼が言っている事は、本心そのモノでは無い」って、見方をしていたので。
 結果、結び付いたのが「目は口程に物を言う」・・・つまりアーデンは「口(言葉)よりも、目の方が、正直なんじゃないかな?」って考え方。

 そして二つ目が「アーデンの目の色」について。
 これは偽典 1【次にイズニアさんをプロファイリング】を、書いていた時の話ですが。
 この時は、アーデンの目の色について、
 身体的特徴「髪色=赤毛」「目・光彩=ブラウン(琥珀色)」から、地球で言うトコの「(北)ヨーロッパ」のイメージ。
 と、書いていましたが。
 これは後出しじゃんけんになるので、信じて貰えるかは分かりませんが・・・実は、この時には「この人の目、ウルフアイっぽいな」とは思ってて。
 ただ、このゲームあるあるだと思うんですが・・・時と場合によって、いつもウルフアイに見える訳では無かったし。
 何か「アーデンの目・光彩=ウルフアイ(琥珀色)って、ちょっと格好付け過ぎ&夢み過ぎか?」って思ってしまって(今更)。
 無難に「目・光彩=ブラウン(琥珀色)」に落ち着けた・・・という、逃げの結果のコレだったりします。

 で、この「目・光彩=ウルフアイ(琥珀色)」って要素と、人狼の相性が良かったので。
 その「イズニアの目=ウルフアイ(狼の目)=人狼」というラインを分かり易く繋いだのが、
「よく見てみろ。
 現にソイツの目は、狼の目のようではないか!」
 という、偽典 25でのソムヌスの台詞だった訳ですが。
 今言っている「ウルフアイ(狼の目)」って言うのは、勿論「目・光彩」の事であって。
 本当に「イズニアの目の機能が、狼の目と同様」という事ではありません(あくまでも見た目の話)。
 それこそソムヌスなんかは「狼の目の様な、イズニアの目」って外見的特徴だけで「狼の目を持っている=人狼だ!」って言い掛かりを付けているだけだし。

 でも、この「イズニアの目=狼の目」って繋がり。
 本当に、外見的特徴だけで終わらせてイイのかな?
 
 いや「犬は嗅覚が優れているけど、目は悪い」って話し、よく聞かない?
 だからイヌ科に属している狼も、犬みたいに目が悪かったりするのかな、って。
 という訳で、狼の目・・・について調べてみたんだけど、狼単独では見付からず。
 執筆者さん自身が「狼に似た犬の目の見え方」と注釈された上での情報になりますが。

 「視力の悪い犬は、色の認識が苦手」と、言われていて。
 「赤やオレンジは暗めのねずみ色」「緑と黄色はくすんだ黄色」「紫と青は青色」に見え。
 「特に赤と緑の色の色別が苦手」と、考えられているそうです。

 で、この記事を読んで引っ掛かってのが「緑と黄色はくすんだ黄色」に見える・・・という部分。
 今回の二次創作のイズニアって羊飼いなので、「羊たちの餌=牧草」って要素が付いて来る訳ですが。
 イメージとして「放牧された羊たちが食べてる草=緑色」ってイメージが無いかな?
 いや、実際には干し草も食べるかもだけど、それは与えられてる餌の場合と言うか。
 その辺りを気ままにウロウロしながら食べてる草って、緑色のイメージじゃないかな、と。

 でも【エピソード・アーデン】でのアーデンの過去の記憶・・・今回の二次創作で言えば、アーデンでは無くイズニアの記憶ですが。
 彼の記憶の中の世界って、羊飼いが求めそうな「羊たちの餌に適した、青々とした緑豊かな風景」ではなく「幻想的な、美しい黄金色の風景」じゃないですか。
 だから今回の二次創作的には「本当は黄金色では無く、青々とした緑の方が都合が良かった」=「確かに幻想的で綺麗だけど、羊飼いって見方からすれば緑の方が都合がイイんだけどな」・・・って思ってたので。

 ここで更に結び付くのが「実はイズニアの目には黄金色に見えていただけで、本当は緑色だったんじゃないか?」って可能性。
 これは100%の同意は出来ないけど。
 人間って自分が体験した事が無い、見た事が無い、聞いた事も無い。
 つまり知らない事&想像も出来ないような事は、夢に見る事が出来ない・・・ってのを聞いた事があるような気がして(うろ覚え)。
 だとしたら「イズニアにとっての、あの黄金色の風景」って、どこから来たイメージなんだろうなって。
 確かに「イメージでは無く実際に見た風景」=アーデンにしても、イズニアにしても「幻想的な、美しい黄金色の風景」だったからこそ、2000年経っても夢に見る程に印象に残ってた。
 そう考える事も出来るけど・・・あの「幻想的な、美しい黄金色の風景」が「イメージでは無く実際に見た風景」ってあり得るかな?
 成熟した小麦が黄金色になるのは分かるとしても・・・木の周囲に生えてるような、あんな背の低い草が、枯れてる訳でもないのに黄色掛かってるって、どうなの?普通にそういう品種があるのかな?

 そういう風に突き止めて行くと、七瀬にはやっぱりあの「幻想的な、美しい黄金色の風景」は、イズニアの目には黄金色に見えていただけで、本当は緑色だったんじゃないか・・・って発想になり。

 じゃあ実際に、「狼の目」の様に、人間の目でも「緑色が黄色に見える」という事があり得るのか・・・って調べた結果。
 三種類ある錐体という色を見る為の細胞のうち「どれか1つor2つを持っていない」「働きが弱い(=感度が低い)」場合の中でも、
◆P型(Protanopia)1型2色覚
 長波長(赤)を主に感じるL錐体がない(P型強度)またはL錐体の感度が低い(P型弱度)。
◆D型(Deuteranopia)2型2色覚
 中波長(緑)を主に感じるM錐体がない(D型強度)またはM錐体の感度が低い(D型弱度)。
 この「P型とD型を総称して赤緑色覚異常」と呼び、色の見え方も似ているのですが。
 どうやら一例として、一般型の人には緑色に見える色が、赤緑色覚異常を持つ人には「赤みの差が分かりにくい結果、緑色が(くすんだ)黄色」に見えるそうです。
 因みに注意点として、「緑色⇒(くすんだ)黄色」は、あくまでも「赤みの差が分かりにくい結果、そう見える」って一例であって。緑色に限った事では無いです。
 七瀬の見た感覚としては「白・黒・青」は大体同じに見えるけど、それ以外は「黄色~茶色」に見える・・・そんな感じ(紫など、色によっては青に見える色もある)。
 で、色覚異常の発症割合は男女で差があり、男性は5%(20人に1人)、女性は0.2%(500人に1人)と、圧倒的に男性が多く(これは遺伝の都合)。
 その内訳は、赤緑色覚異常が多くを占めるそうです(昔で言うトコの全盲とか、一種類しか働いていない錐体1色型色覚、青が弱い3型2色覚は稀)。

 と言う事は、色覚異常というのは男性なら5%の割合で存在し、そのほとんどが「赤みの差が分かりにくい結果、緑色が(くすんだ)黄色」に見える、赤緑色覚異常なら。
 イズニアが赤緑色覚異常を持っていたとしても、別に「無理矢理が過ぎる!」って事は無いんじゃないかなって。
 いや、この赤緑色覚異常が「何千人に一人」の割合だったら、
「見た目が、ウルフアイだったイズニアが。
 目の機能としても、狼の目だったって・・・。
 さすがに偶然&こじ付けが過ぎない?」
 ってなっちゃうけど。
 男性なら20人に1人・・・1~2クラスに一人は居そう、って事でしょ?
 これに、ウルフアイのアンバー(琥珀色)の割合を重ねたとしても、滅茶苦茶レアケースに跳ね上がるって事は無いんじゃないかな、と。

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【「イズニアの目=ウルフアイ」から見る世界】
 長々と話が脱線して「何の話してたんだっけかな?」って感じですが・・・話を戻せば、
「イズニアは、何で羊飼いを仕事に選んだろう・・・?」
「どういう状況なら、イズニアが羊飼いにならざるをえなかったか?」
「イズニアは、他の仕事を選ぶ事が出来なかった(=彼は何らかのハンデを背負っていて、世間一般的な仕事に就く事が困難だった)」
「一見したトコ」分からない=「他者から見ても分からない五感」のウチのどれかが、不自由だった?
 ・・・って、話しです。
 だから、長々と脱線してたようで、ちゃんと本線に戻って来たという事。
 最終、話しをまとめると、以下の様な感じになります。

 イズニアは「姓」を持たない家に生まれたものの、幼少の頃よりとても聡い子で、周囲と問題を起こすような事も無く、また容姿にも恵まれていたので。
 彼の両親は「この子なら安定した仕事に就いて、お嫁さんを貰って、幸せな家庭を築いてくれるだろう」・・・そんな十数年後の我が子の将来を、幸せな未来を信じて疑わなかった。
 でもイズニアが大きくなるにつれ・・・母親は、どうにも不思議な彼の行動に気が付いた。
「赤くなった実を取って来て。
 緑の実はまだ熟していないから、取ってはダメよ。」
 庭になった果実を採って来るように頼むと、彼は何故か「赤い実も、緑の実も採って来てしまう」・・・まるで「赤色と緑色の違いが分かっていない」かの様に。
(考えたくはないけれど・・・どこかオカシイのかしら?)
 今ほど身体的多様性への理解が進んでいない時代だったので、彼の母親もイズニアには何かオカシイ所が・・・何かしらの異常があるのではと心配した。
 だけど一番近くで見て来た母親の目から見ても、どこか身体的に問題があって運動機能や能力が劣っているとは思えなかったし。
 裕福とは言えない家だったけど、家の手伝いや、周囲の大人たちとの関りの中で、彼は独自に読み書きを会得し。
 10歳を超す頃には、日常生活では不自由しない程度の計算も熟す事が出来た・・・知的な異常があるとは思えない、寧ろ村でも評判の「賢い子」だった。

 だから、彼からある質問をされた時、母親は衝撃を受けた。
「母さんは赤い実、緑の実と言うけれど・・・どうやって見分けているの?」
 自分には同じ色に見えるのに、一体何を見て見分けているのか、と。
 その言葉を聞いて、母親は初めて「我が子は、色の見分けが付いていない」という事を知った。
 正確には、全ての色の見分けが付いていない訳ではないんだけど。
 赤は赤、緑は緑と「普通に見えるのが当たり前」の母親にとって。
 赤も緑も黄色掛かって見える「我が子が見ている世界は、自分のそれとは違う世界」だなんて、まさかそんな事があるなんて。
 自分にはその世界を見る事が出来ないからこそ。
 それは信じがたく、また理解しがたい現実だった。

 それ以降、彼の両親は彼の将来を悲観するようになった。
「そんな事では、まともな仕事にも就けないし、
 きっと嫁も来てくれない・・・なんて可哀想な子なんだ。」と。
 色覚異常が発覚しても、両親は彼を蔑ろにした訳では無かった・・・寧ろ「可哀想な子」と、今まで以上に丁寧に接し、彼に同情もした。
 でも、そんな両親の過度な対応が、「普通とは違う」事を知ったイズニアを傷付けた。
 彼自身、確かに「色の色別は苦手」だったけれど、他に何か不都合がある訳では無かった・・・今までの人生「色の色別は苦手」なりに、上手くやって来たつもりだった。
 事実、一番近くて見て来た母親ですら、その事実に気付かなかった程に・・・大きな問題を起こす事も無く「皆と一緒」に生きてきたつもりだったのに。
 普通とは少し色が違って見えるだけで、まるで全てを否定されたような気がして。
 普通とは違うんだ・・・という事実よりも、両親の対応の方が悲しく辛かった。

 その一件以降、イズニアが心の拠り所としたのが「聖書(バイブル)」に類する、一冊の本だった。
 これは何年も前に、村にやって来た宣教師が家々に配って行ったもので、彼の家が敬虔な信仰者という訳では無かったのだけれど。
 当時、本というのは貴重な物だったので。
 過去のイズニアは、聖書から神の教えを学ぶ・・・というよりも、読み書きを覚える為に、何度も何度も読み返していた。
 だからその頃は「読み書きを覚える為の教本」であって、特にその内容に感銘を受ける事も無かったんだけど。
 人間、心が弱くなると神様に救いを求めるものなのか?
 自分の存在意義を見失いそうになっていた今のイズニアは、聖書の中に自分の「生きる意味」を見出した。

 神様は、自身を「羊飼い」と例えた。
 沢山の羊たちを守り導き、たった一匹の迷える子羊も見捨てないのだ、と。

 その言葉にイズニアは「羊飼い」という仕事こそ、ハンデを背負わされた自分に相応しい仕事だと信じた。
 確かに自分には、神様の様に羊たちを・・・人間達を導く事は出来ないかもしれない。
 でも神様の前では「羊も人間も等しく生きとし生けるもの」であるのなら。
 自分は「羊飼い」として、羊たちを自分の命に代えても守り導こう、と。
 自分を信じて付いて来てくれる・・・そんな羊たちの為に、一生を捧げようと誓った。

 本来なら、羊飼いなんてと反対するところだけれど・・・我が子がそこに「自分の幸せ」を見出したのなら。
 そのイズニアの申し出を、両親は涙ながらに了承した。
「父さん、母さん・・・今まで、有難う。」

 それは「貴方の人生なのだから、貴方の自由にしなさい」と言う、二人の「優しさ」だったのか?
 それとも「どの道、普通の幸せを望めないのなら」と言う、二人の「諦め」だったのか?

 感謝と別れの言葉を告げて以来、彼が家に戻る事は無く。
 気付けばもう、どれだけの年月が経ったかも分からず。
 イズニアは二人の本心を、聞きそびれてしまった。
 だから・・・それはもう、分からない。

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 これなら「イズニアの目=ウルフアイ」って設定から。
 彼が、羊飼いという仕事を選んだ理由。
 彼が、とても信心深く、神様を信仰していた理由。
 彼が、人狼(=化け物)とされてしまった理由。
 この三つがカバー出来るから、話しの通りとしては良くないかなって。

 因みに、色覚異常で羊飼いが務まるか・・・って話ですが。
 確かに微細な違いを見分けるのは難しいかもしれないけど、色の違いが分からない訳では無いらしいので(色々な色が黄色に見えるとは言っても、全部同じ黄色では無く濃淡・明暗は違う?)。
 どっちかって言うと「色の見分けが付かない」事よりも、「他者との情報の共有」の方が難しいと言うか。
 例えば「赤色のスカーフを下さい」って言われても、どれが「赤色に対応している色」なのか分からないとか。逆に自分が欲しい色があっても「それを何色と言えば良いのか、分からない」とか・・・そういうイメージ。
 なので、色に関する他者とのコミュニケーションが難しいだけで、自分の事は面倒見れる&自分が生きて行くには困らないのなら。
 ずっとずっと昔の、周囲の理解が期待できない時代に。
 自らが望んで「羊たちと生きて行く」って道を選んだのなら・・・他人の目を気にせず自分らしく生きていけるって意味で、良かったんじゃないかな?
 多分「白・黒」は、一般型と同じ様に見えてると思うので・・・イズニアにとって大事な存在「プライナ・アンブラ・羊たち」は、ちゃんと見えてるだろうし。

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【アーデンの目には、どう映ってる?】
 補足①・・・じゃあ「イズニア」ではなく「アーデン」の目はどうかと言うと。
 あれはあくまでも「イズニアの目を通した、彼の記憶の中に有る風景」を、アーデンが「幻想的な、美しい黄金色の風景」として夢に見ていただけで。
 アーデン自身は見た目「目・光彩=ウルフアイ(琥珀色)」だけど、機能としては正常型だと思います。
 何でかって言うと、ヴァーサタイルの魔導開発研究所って、ご丁寧に観葉植物が置いてあったじゃないですか。
 あの葉っぱがちゃんと「緑色」に見えてるんだから、そりゃ正常型だろう、と。
 勿論【FF15】的には何のつもりで態々、魔導開発研究所に観葉植物を置いてたのか知りませんが・・・あの早い段階で「緑色」を主張してくるなら、今回の二次創作としては「緑色が黄色に見えていたのは、イズニアの目を通して見ている時だけ(=幻の過去のシーンのみ)」って軌道修正しとかないといけない。
 それこそ今回の二次創作のアーデンは「1000年後の未来から来た、考古学者」なので・・・さすがに色別出来ないのは厳しいし。

 因みにですが、アーデンのサイドテーブルに置いてあった本は「バイブル(聖書)」だと思ってます。
 何て言うか・・・【エピソード・アーデン】のアーデンはアーデンなんだけど、イベントが進むにつれて「アーデン」に染まってくというか。
 最初の頃の中身って、どっちかって言うと「イズニア寄り」なんじゃないかなって(だからバイブルを大事にしてる&ちゃんと食事前にお祈りする)。

 例えば、ヴァーサタイルとの食事の時、アーデンから「この食事は?」って聞いたクセに、ヴァーサタイルが嬉しそうに意味不明な説明し出したら「もういい 人間のわかる言葉で話してくれ」って遮っちゃう展開あったけど。
 あれもヴァーサタイルの説明が的外れだったから⇒「説明が難しい」って的外れでは無く。
 単純に「羊飼いのイズニアさん」にしたら、あんな調理方法の料理を見た事が無かったので「この料理は?」って聞いたのに、何か訳分からん事を言い出したから「そんな事は聞いていない」って意味で遮ったんじゃないかな?
 多分「複製?」って言ってたから・・・ど最初の「複製」の時点で意味分かってないよ。
 途中、パンを手に取ってしげしげ見てたけど、あれも小難しい事を考えてたんじゃなくて「わ~、何だこの柔らかいパン?」って思ってただけ・・・みたいな。
 きっとフワフワの白パンなんて上等な物、羊飼いのイズニアさんは、お目にかかった事なかったんだよ。

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【きみの瞳に映る わたしは何色ですか?】
 補足②・・・これは【うたわれるもの (キミガタメ)】の歌詞ですが。
 最後は「色々な色が、黄色掛かって見えた」イズニアの目に映る、「ミルスの金髪は、本当は何色だったのか?」って話。

 これは物語の本質として「大事なのは、器(体)ではなく中身(魂)」という考え方があるのなら、「ミルスの髪の色が何色だろうが、彼女の魂が同じなら関係無い」って極論になる訳ですが。
 実際問題、頭で理解は出来ても、その領域に達するのは感覚的に難しいので。

「色々な色が、黄色掛かって見えていたイズニアだったけど。
 そんな色々な色が、色々な黄色に染まった世界の中。
 彼女の髪は、他の何色にも染まらない。
 イズニアにとって何よりも美しく映る、金色の髪だった。」

 ・・・位の方が、分かり易くないかな?
 一際美しく映える「真実の色」・・・みたいな感じで。
 愛した女性の姿すら、実は本当の姿では無かった・・・って言うのは、やっぱりちょっと可哀想過ぎるので。

 でもエイラに関しては「氷神の魂を持つ人間」って設定なので・・・本当のエイラは「銀髪」の方が個人的には嬉しかったりします。

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