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FF15:レガリア(TYPE-F)で1000年の時を超える話《偽典 24》
- 2024/08/06 (Tue) |
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《今回の御品書き (FF15・二次創作モドキです) 》
【まずは、それぞれの関係をおさらい】
【「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?】
【「アーデン・イズニア」は、奇跡の羊飼い?】
【許されない、身分違いの恋物語】
《今回の御品書き (FF15・二次創作モドキです) 》
【まずは、それぞれの関係をおさらい】
【「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?】
【「アーデン・イズニア」は、奇跡の羊飼い?】
【許されない、身分違いの恋物語】
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【まずは、それぞれの関係をおさらい】
・・・に関して、一つ。
今回の二次創作では、アーデンを「1000年先の未来から来た考古学者」にしてしまった・・・つまり勝手にアーデン枠を一人増やしてしまったせいで、アーデン・ルシス・チェラムと炎神イフリートをくっ付けてグロプス渓谷に沈めてしまう事になったりと、ややこしい事になっているのですが。
今は一先ず、分かりやすさ重視・・・という訳で、その辺りのシナリオは無視して。
単純に「炎神」「炎神イフリート」「アーデン・ルシス・チェラム」、そして「アーデン・イズニア」それぞれの立ち位置をおさらいです。
《炎神の系統(=炎神の魂を持つ存在)》
キリスト教の教えで言うトコの「三位一体」に近い考え方で、
父(Father)=炎神
子(Son、イエス・キリスト)=アーデン(・ルシス・チェラム)
聖霊(Holy Spirit)=炎神イフリート
の、三者の事で。
①炎神=所謂、正真正銘の神様なので、人間達は実際に姿を見たり声を聞く事は出来ない。
なので、シナリオや作中といった「見える」部分には、全く登場しない。
②炎神イフリート=【FF】シリーズで言うトコの「幻獣・召喚獣」ポジション。
「炎神」が、自身の姿を見たり、声を聞いたりできない人間達の想いに応える為「人間達の自身に対するイメージ(記憶・想い出)を設計図」+「幻光虫を素材」にして生み出し、人間世界に遣わせた。
つまりイオスの世界の人々は炎神イフリートの事を「神様」と思っているけど、彼は言ってみれば「炎神の分身」であって、神様そのものではない(神様は見聞きできない存在として、別に存在している「炎神」自身)。
③アーデン(・ルシス・チェラム)=魔大戦の首謀者とされる炎神イフリートは「炎神の分身」なので。その責任を感じた「炎神」が巻き添えにしてしまった人間達を救う為「自らの魂を設計図」+「幻光虫を素材」に生み出し、人間世界に遣わせた「炎神の魂を持つ人間」。
尚、「炎神」自身は明確な姿形を持たないので。アーデンの外見的特徴は、炎神イフリートのイメージを継承している(彼の見た目は、人間達の「炎神」に対するイメージ=彼の見た目を継承するという事は、人間達の「炎神」に対するイメージをアーデンにも継承出来るという事)。
炎神イフリートとアーデンは、共に「炎神」により生み出された「炎神の魂を持つ存在」なので、存在の在り方としては「炎神の分身」に近く。
同じ「炎神の魂」という部分で繋がっているけど「炎神の分身」なので、個としては別々の存在(だからアーデンと炎神イフリートが、個を保ったまま同時に存在する事も出来る)。
因みに「炎神の魂」で繋がっているとは言っても、リアルタイムで逐一情報共有&更新している訳では無い。
《実は、アーデンのそっくりさん(=炎神の魂の輪の外)》
で、これが「アーデン・イズニア」という、アーデンにそっくりなだけで「炎神の魂」とは無関係の人間。
そもそも「アーデン・イズニア」の「イズニア」というのは姓ではなく、後世で付けられた「Ardyn is near」=「アーデンに近い」を示す言葉だったんだけど。
長い長い時間とたくさんの「イオスの世界(子要素)」を経る中で、何時からか「イズニア姓」と勘違いされるようになってしまった。
つまり今のアーデンは思う所があって「アーデン・イズニア(本名)」と「アーデン・ルシス・チェラム(正式名)」を使い分けている&既に両者の「記憶・想い出」が混ざりあい、同一人物のようになってしまっているんだけど。
元を辿れば「アーデン・イズニア」は、存在がアーデンにそっくりだったせいで、アーデンと同一視されてしまった全くの赤の他人・・・という立ち位置。
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【「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?】
ここまでの「六神神話」では、「炎神の魂を持つ存在」である「炎神」「炎神イフリート」「アーデン・ルシス・チェラム」の事を、色々と好き勝手書いてきた訳ですが。
じゃあ、この「炎神の魂の輪の外」・・・部外者なのに、ガッツリ入り込んできている「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?
・・・何て書いてはみたものの、実は今更で。
「アーデン・イズニア」の設定は、偽典 13で。
「アーデン・イズニア」のイメージ像は、旧約 50で既出済みだったりします。
つまり、旧約 50でアーデンが語っていた昔話の登場人物「奇跡の羊飼い」・・・彼が「アーデン・イズニア」だった、と。
という様に、自分の中では早い段階から「アーデン・イズニア=奇跡の羊飼い」というイメージ像はあった訳ですが。
でもこの「アーデン・イズニア」のイメージ像って、必ずしも必要では無い・・・と思っています。
何でかって言うと「アーデン・イズニア」って【FF15】では、
①「正式名(アーデン・ルシス・チェラム)」を明かすまで名乗っていた、アーデン曰く「本名(アーデン・イズニア)」。
②アーデン自身が「イズニアは誰の姓だったか」って言っている程度の事しか教えてくれない(でも、この何気無い発言だけでも「アーデン・イズニア=別人」ってイメージは見えて来る)。
③上記、アーデンの発言から「アーデン・イズニア=別人」と解釈した上で、10年後の世界のタルコットから「アーデンの素性」について聞いたら、本当の「アーデン・イズニア」がどんな人物だったかが、ちょっとだけ分かる。
・・・位の情報量じゃなかったっけ?
しかも②を「アーデン・ルシス・チェラム」が「アーデン・イズニア」の姓を拝借していただけだった・・・と解釈すると、③のタルコットの情報も「アーデン・ルシス・チェラム」の境遇と似ている為、「アーデン・イズニアと名乗っていた時のアーデン自身の記録が、そういう風に伝わってるんだろうな」って解釈になってしまう。
結局、何が言いたいかって言うと。
この「アーデン・イズニア」ってのは、名乗っているアーデンですら「イズニアは誰の姓だったか」で済ませてしまう・・・それ位、情報が少ない人物なのに。
それに対する「本当のトコ、どうなの?」って疑問に対する回答が無くても。
もっと言えば「本当のトコ、どうなの?」って疑問に思う事すら無くても、物語はちゃんと完結してる。
それって、言い方は悪いかもですが「その程度の扱いで済まされてしまう人物」と、言うか。
勿論「その程度の扱いで済まされてしまう人物」だからと言って、実際に重要か重要でないかは別なんだけど。
「そもそも、キャラを固めるだけの情報・背景が無い・・・!」
・・・んだったら、二次創作でガッチガチに設定を考える必要なんて無いわな、と。
言いたいトコなんですが。今回の二次創作は、
①誕生と終焉を繰り返す「イオスの世界(子要素)」は、クリスタルの中で眠る剣神バハムートが見ている夢が、幻光虫(=寄生虫)によって具現化した世界。
②剣神バハムートは「原初のイオスの世界」を夢見ていて、悪夢に目覚めては、また眠りに就く・・・これを繰り返している。
③剣神バハムートは「原初のイオスの世界」を夢見ているんだけど、夢故に望む夢が見られる訳では無く。その夢はイオスの世界の人々の「記憶・想い出」の影響を受ける。
④しかもイオスの世界の人々の「記憶・想い出」が「ルシス王家」によって都合良く改編・改竄され続けたせいで、世界は徐々に傾き続けた結果。
⑤今や剣神バハムートが夢見る「原初のイオスの世界」とは全くかけ離れた・・・それどころか、このままでは世界がひっくり返ってしまう。そんな「世界の危機」に直面している。
という様に、イオスの世界の人々の「記憶・想い出」が誤って伝わる事で、世界は終焉に傾き続けている・・・というのが、物語の鍵になっているので。
そこに説得力を持たせる為には「何となくアーデンの記憶・想い出が、ああいう風に歪んでしまった」のではなく。
マンデラ効果と言うか「実際にそういう風に歪んでしまうキッカケになった人物・出来事があった」って事にしといた方が良いかな・・・ってなって。
その役割を任されたのが「アーデン・イズニア」と言う、アーデンに存在がソックリな羊飼いさんだった・・・と。
なので【FF15】の「アーデン・イズニア」が、何者だったのかは分かりませんが。
今回の二次創作では「物語の鍵を握る人物」として、「アーデン・イズニア=アーデンに存在がソックリだった羊飼い」という役割を引き受けてもらう事になりました。
という事ですので、【FF15】の「アーデン・イズニア」とは切り離して。
あくまでも「今回の二次創作では必要だった設定」として、読んで頂ければと思います。
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【「アーデン・イズニア」は、奇跡の羊飼い?】
そもそもの話。
二人の存在(見た目・性格・思想、等々)が似ていたから後世の人々に勘違いされ、二人に関する「記憶・想い出」がごちゃ混ぜになってしまった⇒なので「今のイオスの世界(子要素)」では「アーデン・イズニア」の記憶が混じった物が、「アーデン・ルシス・チェラム」の記憶となってしまっている・・・とは言っても。
【FF15】曰く、神の力を授かり、その力で多くの人を救おうと、寄生虫の病を治療する旅をしていた「アーデン(・ルシス・チェラム)」と。
極々普通の庶民というか、どちらかと言うと身分が低そうな羊飼い「アーデン・イズニア」の、どこが似ているのか?・・・って問題ですが。
これに関しては「感覚」でしかないです。
一番肝心な部分が「何じゃそら?」って感じですが。
何て言うか、ちゃんと発売当時に【FF15】を、2年以上経ってからDLCの【エピソード・アーデン】をプレイした方達にとっては【FF15】のアーデンの印象が強くて、「いや、そうはならんだろ?」ってなると思いますが。
七瀬の場合は【FF15】+【エピソード・アーデン】・・・つまり最初から物語の全体像をyoutubeのムービー動画を見たせいで、【FF15】での「アーデン=悪」って「記憶・想い出」の定着が薄かったのか、
「過去のアーデン⇒救世主⇒イエス・キリスト」のイメージがスッと入って来て。
「何か過去のアーデンって、イエス様っぽいな」ってイメージを頭の中に置いた状態で、【エピソード・アーデン】であの格好のアーデンを見たら、「いくら寛ぎモードとは言え、もうちょっとマシな格好は無かったのか・・・羊飼いやん?」と。
七瀬自身は「年末にクリスマス&年始に神社にお参り」という、日本人に有りがちな宗教観なんで日頃からキリスト教を信仰している訳では無く、あくまでも聞きかじり程度の知識と思って頂きたいのですが。
この「イエス様=救世主=アーデン」と繋がったアーデンが、質素な格好をしているだけで「羊飼い」と繋がった流れと言うのは。
随分前ですが、基督教系の幼稚園に通っていた息子が降誕祭で「羊飼い役」を、させて貰った事があって。
その思い出から、元々キリスト教に対しては「羊飼い」「羊」との結び付きが強いイメージがあり。
そう言えば「迷える子羊」とか、比喩表現としても「羊」ってよく出て来るな・・・って思いから。
他にも「羊飼い」とか「羊」って、具体的に出て来るのかなと思って調べたら、新約聖書の一節「わたしは良い羊飼いである」に行きあたって、
「じゃあ、やっぱり羊飼いでイイやん?」
ってなった・・・それだけです。だからこれはもう本当に、自分の人生に基づく「感覚」でしかない。
で「この世界の記憶・想い出は、ルシス王家によって改編・改竄されている」って考えは、もっと前からあったから。
常に「何かオカシイとこは、ちゃんとオカシイんだろうな」って目で見ていて。
だから、ここもオカシイ・・・つまり「改編・改竄された記憶・想い出=別人の記憶・想い出」って発想になり。
「別人の記憶・想い出」と言えば、アーデン自身が「イズニアは誰の姓だったか」って「別人の記憶・想い出」を、仄めかしている位なので。
このオカシイ部分のアーデンは、アーデンそのものの記憶では無く、アーデン・イズニアの記憶に侵食されたアーデンで。
侵食しているアーデン・イズニアという人物は、アーデンに存在がソックリだった「羊飼い」だったんじゃないか・・・って言うのが、今回の流れ。
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*ここからは「アーデン・イズニア」の事は「イズニア」と表記します・・・長いので。
ここまでが「アーデン・イズニア=羊飼い」になった流れな訳ですが。
ここからは次の問題「何で羊飼いと救世主が、同一視されてしまったのか?」について。
でもこれは先にも書いた、旧約 50の「奇跡の羊飼い」のままで変更しなくて良いです・・・あのイメージから変わっていないので。
要するに、イズニアは羊飼いという仕事柄、野草など自然の恵みを利用した治療・処置に精通していたので。
医療の発達していない貧しい村の村人たちは、自分達の手に負えないような病気や怪我をした時には彼を頼っていた。
このイズニアの「羊飼い=遊牧民(季節によって移動)」「自然の恵みを利用した治療・処置=神様みたいな奇跡」「貧しい村の村人たちを助けていた=命の恩人」が。
アーデンの「たくさんの人を救う旅(一所に定住しない)」「神から授かった力による治療=神の奇跡」「寄生虫の病に苦しむ人々を助けていた=救世主」と結び付いた。
とは言え、そんな羊飼いさんは沢山いただろうから・・・それだけなら、この「イズニア=アーデン」とはならない。
だから、その他の情報「見た目=赤毛の男性、長身、30代」とか、人となり・性格が似ていたとか、名前がズバリ「アーデン」だったとか・・・何かしら勘違いされる追加要素はあったんじゃないかな、とは思います。
正直、羊飼いというのは、身分の低い職業だっただろうし。
その上、村のコミュニティーからは外れた存在・・・正確にはその村の人間ではないってなると。
いくら彼に知識・技術があったとしても、彼はあくまでも余所者・・・村人達にそこまで信頼されるのは難しい。
でもイズニアがアーデンのような「聖者」「献身者」「カリスマ持ち」「天性の人たらし」だったら。
村から離れた所をウロウロしている、近くに住んではいるけど何か素性の知れない「胡散臭い男」でも、
「良く分からん男だけど・・・。
困ってる村人を助けてくれる、アイツはイイ奴だよ。」
身分が低くて貧しい生活を強いられている村人ほど、好意的だったんじゃないかな?
まぁ・・・貧しい村っていっても、そこでの上下主従関係はあるだろうから。
そこそこ力のある家の人間達は、彼に頼る必要なんか無いから邪険にしてたかもしれないけど。
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【許されない、身分違いの恋物語】
という事で【エピソード・アーデン】冒頭の、エイラとキャッキャしているアーデンは、アーデン自身の「記憶・想い出」では無く。
彼に存在がソックリさんだったイズニアの「記憶・想い出」に侵食・・・まぁ、役処を乗っ取られたアーデンだった。そんな感じ。
で、そうなって来ると次に問題になるのが、
「じゃあ、あの時一緒に居たエイラは、誰だったのか?」
ですが・・・「彼女もエイラ自身では無かった」と思っています。
何でかって言うと、今回の二次創作で考えるなら「エイラは氷神シヴァと同じく、氷神の魂を持つ存在」であるのが正解で。
正解のエイラの「記憶・想い出」が正しく継承されているのなら、今回の二次創作のようなエイラになっている筈。
でもこの冒頭のエイラは、ちゃんとアーデンの恋人に収まっていたり、「今のアーデンに必要なのは、休息と私」と冗談っぽく言ってみたりと・・・「氷神」の魂を持っているにしては、どうにも落ち着きが悪い。だったら、
「このシーンの二人は、本当のアーデン&エイラではなく。
イズニアの「記憶・想い出」に侵食されたアーデンと。
そのイズニアの「記憶・想い出」の中に有る、彼の想い人だった女性。」
このルートで考えてみたら、どうなるだろ?
・・・の、結果が以下の様な設定&物語になります。
イズニアは羊飼いと言う仕事柄、羊たちが食べる牧草を求め移動する遊牧民のような生活を送る男性で。
そんな彼が一時期を過ごすのに腰を落ち着けたのが、「彼女=ミルス」の家が村役を務める村の近くだったんだけど。
彼は昼間は羊たちの為に群を移動させ、夜には雨風の凌げる森で寝泊まりしていた。
つまり「村の近く」とは言っても、本当に距離的な「村の近く」であって。
生活に必要な物品をやり取りする時以外、彼が村に立ち入る事はなかった。
それは羊飼いというのはあくまでも余所者であって、閉鎖的な村である程、歓迎されない・・・それをイズニアは知っていたから。
彼らとの無用な争いを避ける為にも、イズニアは自分から彼らに接触する事を避けていた。
それでも人の噂話と言うのは広がるもので。
偶々、道中で蹲っていた村人の怪我を見てやったり、子供にチーズを分け与えてやったり・・・そんな彼の知識や、人となりが村人達の間で知れ渡ると。
碌な医療も受けられない貧しく立場の弱い村人達ほど、彼の事を好意的に受け止め、何かあった時にはと頼るようになり。
自分を頼ってくれる彼らに対し、イズニアも親身になって応えた。
そんなイズニアだったからこそ。
また翌年、その次の年・・・ふらりと戻って来て、しばらく滞在したかと思えば、また居なくなる。そんな生き方をしていても、戻って来た時には、
「今年もアイツ、戻って来てるらしいぞ。」と。
村の人間では無いんだけど、村人達には「神様のような羊飼い」として、その存在を受け入れられるようにまでなっていた。
そしてイズニアが羊たちを連れて戻って来た、何度目かのある年。
夕暮れ時の原っぱで、彼は一人の女性と出会った。
その明らかに場違いな格好をした女性に「何故、こんな所に?」と、思い声を掛けてみれば。
彼女は件の村の村役・・・中でも冠婚葬祭などの神事を任されている一家の娘で。
予てより話があった婚約話が強引に進められ、それが嫌になって着の身着のまま飛び出して来たと言う。
聞いた話・・・彼女の話は、自分達の一族の支配地を広げたい下級貴族に有りがちな政略結婚といった内容で。
気の毒には思うけど、羊飼いのイズニアなんかにどうこう出来る問題では無い。
それに信心深いイズニアにすれば、
「嫁入り前の娘さんが夜になっても戻らないとあっては、
親御さんが心配するだろうから・・・今日はもう家に戻りなさい。いいね?」
そちらの方が心配だったので・・・その日は彼女を村の近くまで送り届け「じゃあね」と、別れを告げた。
「あれ・・・偶然?」
「今日はもう家に戻りなさい・・・って言ったのは、貴方でしょ?」
そういう意味で言ったのでは、無かったんだけど・・・。
どうやらミルスは、見た目に反して行動派らしく・・・それ以来、時間を見付けてはイズニアの元に訪れるようになった。
それは普段、羊たちを生活の中心に。
神様への信仰を心の拠り所に生きてきたイズニアの生き方を、大きく変える出来事で。
羊飼いの仕事と言うのはのんびり羊たちを眺めている訳では無く、危険を伴う仕事・・・羊たちを狙う狼に群が襲われる事もあれば、羊たちが牧草を求め足元の悪い岩場を進む事も日常茶飯事なので、
「せめて靴は、もっと歩きやすい物が良いかもね。」
彼女の身を案じて村に戻る様に言っても、彼女が言う事を聞かないのなら、
「だって着替える間も惜しいんだもの。
でも・・・今度からはどこにでも付いて行ける様に、
もっと歩きやすい靴を履いて来るわ。」
それでも自分と共に居たいと、危険を承知で付いて行くと言ってくれるのなら。
イズニアはたくさんの羊たちの他に、守るべき大切な存在が一つ増えた・・・と言う事。
「アンブラとプライナも、彼女を守ってあげて。
頼んだよ。」
羊飼いにとっては、羊たちを守る事が最優先で。
当然、大事なパートナーである牧羊犬達も、羊たちを守る事を仕事としている。
その二匹にそう頼むという事は、彼女の存在は「最優先」と同等・・・若しくは、それ以上。
それ程までに、イズニアの中でのミルスの存在は大きく大切なモノとなっていた。
世間的に立場の弱い羊飼いの自分を蔑む事なく。
イズニアが「羊飼いなんかと一緒に居たら、親御さんに叱られない?」と心配しても。
彼の全てを「貴方はそれで良いのよ」と、受け止めてくれる彼女の心の深さに。
全てを受け止めた上で、それでも付いて来ると・・・一緒に居たいと言ってくれる彼女に。
「ずっと一緒にいてくれ」
身分違いの恋だと分かっていても、そう願わずにはいられない。
イズニアは何時しかそれ程までに、彼女を「一人の女性」として愛していた。
そしてミルスも。
イズニアは「羊飼いの話なんて、聞いてて楽しいの?」と、言うけれど。
村の外の事なんてほとんど知らないミルスにすれば、彼が語る広い世界、そこに住む人々、その自然の美しさ、優しさ、厳しさも。
何より、どんな苦境にあっても、不当な扱いをされても、他者を恨む事も蔑む事も責める事もない。
「オレはこの仕事を誇りに思っているから、
他人に何を言われても、どう思われても構わない。
それに・・・神様はいつだって、真実を見て下さっている。」
そう言って全てを許す・・・彼の人としての心の広さに、まるで「神様」自身のような全てを包み込む空気感に。
本当は、ずっと一緒にいたい。
許されない恋だと分かっていても、そう願わずにはいられない。
ミルスは何時しかそれ程までに、彼を「一人の男性」として愛していた。
彼の生活は羊たちが中心なので、羊たちが食べるだけの牧草が得られなくなれば、牧草を求め他の地域へと移動してしまう。
だから彼女が彼の傍に居られるのは、この辺りの牧草が生い茂っている間だけ。
ずっと一緒に居る為には、彼の旅にミルスが付いて行くしかない。
でも村には、彼女をここまで育ててくれた両親が居て。
自分が望んだものでは無いけれど・・・家や村の事を思えば、無碍にも出来ない婚約者もいる。
政略結婚だと分かっていても、例え愛情なんてこれっぽっちも無くても・・・この婚約者を捨てて羊飼いのイズニアを選ぶなんて事、許される筈が無い。それでも・・・、
「ずっと一緒にいてくれ」
貴方がそう望んでくれるのなら。
貴方の傍に居られるのなら・・・私は他の何を失っても、きっと後悔しない。
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ここまでが【エピソード・アーデン】冒頭から膨らませた、イズニア&ミルスの「身分違いの恋物語」となります。
つまり前回書いた「甲斐性無し」ってのはアーデン自身ではなく、イズニアの方だった・・・と言う事に(アーデンは甲斐性無しではなく、単純に女心に疎かっただけ)。
確かに、羊飼いと良いトコのお嬢さんの身分違いの恋なら、家族を養っていく為の生活基盤が心許ないと言うか。
そもそも羊飼いという職業が社会的地位&仕事内容柄、所帯を持つのに向いていない上に。
今回はアーデンの「一所に留まらない」という設定に寄せる為。
羊飼いは羊飼いでも「牧草を求めて移動を余儀なくされる、遊牧民のような生活をしている羊飼い」にしてしまったので(でもこれは「牧草地で放牧では餌が間に合わない位、大規模」という事なので、羊飼いとしては成功者かも?)。
二人が結ばれる為には「ミルスが全てを捨てて、イズニアについて行く」か「イズニアが羊飼いを辞めて、村に定住&安定した仕事に就く」のどちらかを選ばなきゃならない。
・・・んだけど現実問題、神様から与えられた羊飼いという仕事を誇りに思っているイズニアが、それを放棄する事は無いだろうし。
ミルスもそれが分かっているからこそ、羊飼いを辞めて村で一緒に暮らそう・・・とは言えないので。
その心中を思えば・・・あの【エピソード・アーデン】冒頭のエイラの、幸せそうなのにどこか憂いを滲ませる表情も納得かな、と。
【まずは、それぞれの関係をおさらい】
・・・に関して、一つ。
今回の二次創作では、アーデンを「1000年先の未来から来た考古学者」にしてしまった・・・つまり勝手にアーデン枠を一人増やしてしまったせいで、アーデン・ルシス・チェラムと炎神イフリートをくっ付けてグロプス渓谷に沈めてしまう事になったりと、ややこしい事になっているのですが。
今は一先ず、分かりやすさ重視・・・という訳で、その辺りのシナリオは無視して。
単純に「炎神」「炎神イフリート」「アーデン・ルシス・チェラム」、そして「アーデン・イズニア」それぞれの立ち位置をおさらいです。
《炎神の系統(=炎神の魂を持つ存在)》
キリスト教の教えで言うトコの「三位一体」に近い考え方で、
父(Father)=炎神
子(Son、イエス・キリスト)=アーデン(・ルシス・チェラム)
聖霊(Holy Spirit)=炎神イフリート
の、三者の事で。
①炎神=所謂、正真正銘の神様なので、人間達は実際に姿を見たり声を聞く事は出来ない。
なので、シナリオや作中といった「見える」部分には、全く登場しない。
②炎神イフリート=【FF】シリーズで言うトコの「幻獣・召喚獣」ポジション。
「炎神」が、自身の姿を見たり、声を聞いたりできない人間達の想いに応える為「人間達の自身に対するイメージ(記憶・想い出)を設計図」+「幻光虫を素材」にして生み出し、人間世界に遣わせた。
つまりイオスの世界の人々は炎神イフリートの事を「神様」と思っているけど、彼は言ってみれば「炎神の分身」であって、神様そのものではない(神様は見聞きできない存在として、別に存在している「炎神」自身)。
③アーデン(・ルシス・チェラム)=魔大戦の首謀者とされる炎神イフリートは「炎神の分身」なので。その責任を感じた「炎神」が巻き添えにしてしまった人間達を救う為「自らの魂を設計図」+「幻光虫を素材」に生み出し、人間世界に遣わせた「炎神の魂を持つ人間」。
尚、「炎神」自身は明確な姿形を持たないので。アーデンの外見的特徴は、炎神イフリートのイメージを継承している(彼の見た目は、人間達の「炎神」に対するイメージ=彼の見た目を継承するという事は、人間達の「炎神」に対するイメージをアーデンにも継承出来るという事)。
炎神イフリートとアーデンは、共に「炎神」により生み出された「炎神の魂を持つ存在」なので、存在の在り方としては「炎神の分身」に近く。
同じ「炎神の魂」という部分で繋がっているけど「炎神の分身」なので、個としては別々の存在(だからアーデンと炎神イフリートが、個を保ったまま同時に存在する事も出来る)。
因みに「炎神の魂」で繋がっているとは言っても、リアルタイムで逐一情報共有&更新している訳では無い。
《実は、アーデンのそっくりさん(=炎神の魂の輪の外)》
で、これが「アーデン・イズニア」という、アーデンにそっくりなだけで「炎神の魂」とは無関係の人間。
そもそも「アーデン・イズニア」の「イズニア」というのは姓ではなく、後世で付けられた「Ardyn is near」=「アーデンに近い」を示す言葉だったんだけど。
長い長い時間とたくさんの「イオスの世界(子要素)」を経る中で、何時からか「イズニア姓」と勘違いされるようになってしまった。
つまり今のアーデンは思う所があって「アーデン・イズニア(本名)」と「アーデン・ルシス・チェラム(正式名)」を使い分けている&既に両者の「記憶・想い出」が混ざりあい、同一人物のようになってしまっているんだけど。
元を辿れば「アーデン・イズニア」は、存在がアーデンにそっくりだったせいで、アーデンと同一視されてしまった全くの赤の他人・・・という立ち位置。
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【「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?】
ここまでの「六神神話」では、「炎神の魂を持つ存在」である「炎神」「炎神イフリート」「アーデン・ルシス・チェラム」の事を、色々と好き勝手書いてきた訳ですが。
じゃあ、この「炎神の魂の輪の外」・・・部外者なのに、ガッツリ入り込んできている「アーデン・イズニア」とは、何者だったのか?
・・・何て書いてはみたものの、実は今更で。
「アーデン・イズニア」の設定は、偽典 13で。
「アーデン・イズニア」のイメージ像は、旧約 50で既出済みだったりします。
つまり、旧約 50でアーデンが語っていた昔話の登場人物「奇跡の羊飼い」・・・彼が「アーデン・イズニア」だった、と。
という様に、自分の中では早い段階から「アーデン・イズニア=奇跡の羊飼い」というイメージ像はあった訳ですが。
でもこの「アーデン・イズニア」のイメージ像って、必ずしも必要では無い・・・と思っています。
何でかって言うと「アーデン・イズニア」って【FF15】では、
①「正式名(アーデン・ルシス・チェラム)」を明かすまで名乗っていた、アーデン曰く「本名(アーデン・イズニア)」。
②アーデン自身が「イズニアは誰の姓だったか」って言っている程度の事しか教えてくれない(でも、この何気無い発言だけでも「アーデン・イズニア=別人」ってイメージは見えて来る)。
③上記、アーデンの発言から「アーデン・イズニア=別人」と解釈した上で、10年後の世界のタルコットから「アーデンの素性」について聞いたら、本当の「アーデン・イズニア」がどんな人物だったかが、ちょっとだけ分かる。
・・・位の情報量じゃなかったっけ?
しかも②を「アーデン・ルシス・チェラム」が「アーデン・イズニア」の姓を拝借していただけだった・・・と解釈すると、③のタルコットの情報も「アーデン・ルシス・チェラム」の境遇と似ている為、「アーデン・イズニアと名乗っていた時のアーデン自身の記録が、そういう風に伝わってるんだろうな」って解釈になってしまう。
結局、何が言いたいかって言うと。
この「アーデン・イズニア」ってのは、名乗っているアーデンですら「イズニアは誰の姓だったか」で済ませてしまう・・・それ位、情報が少ない人物なのに。
それに対する「本当のトコ、どうなの?」って疑問に対する回答が無くても。
もっと言えば「本当のトコ、どうなの?」って疑問に思う事すら無くても、物語はちゃんと完結してる。
それって、言い方は悪いかもですが「その程度の扱いで済まされてしまう人物」と、言うか。
勿論「その程度の扱いで済まされてしまう人物」だからと言って、実際に重要か重要でないかは別なんだけど。
「そもそも、キャラを固めるだけの情報・背景が無い・・・!」
・・・んだったら、二次創作でガッチガチに設定を考える必要なんて無いわな、と。
言いたいトコなんですが。今回の二次創作は、
①誕生と終焉を繰り返す「イオスの世界(子要素)」は、クリスタルの中で眠る剣神バハムートが見ている夢が、幻光虫(=寄生虫)によって具現化した世界。
②剣神バハムートは「原初のイオスの世界」を夢見ていて、悪夢に目覚めては、また眠りに就く・・・これを繰り返している。
③剣神バハムートは「原初のイオスの世界」を夢見ているんだけど、夢故に望む夢が見られる訳では無く。その夢はイオスの世界の人々の「記憶・想い出」の影響を受ける。
④しかもイオスの世界の人々の「記憶・想い出」が「ルシス王家」によって都合良く改編・改竄され続けたせいで、世界は徐々に傾き続けた結果。
⑤今や剣神バハムートが夢見る「原初のイオスの世界」とは全くかけ離れた・・・それどころか、このままでは世界がひっくり返ってしまう。そんな「世界の危機」に直面している。
という様に、イオスの世界の人々の「記憶・想い出」が誤って伝わる事で、世界は終焉に傾き続けている・・・というのが、物語の鍵になっているので。
そこに説得力を持たせる為には「何となくアーデンの記憶・想い出が、ああいう風に歪んでしまった」のではなく。
マンデラ効果と言うか「実際にそういう風に歪んでしまうキッカケになった人物・出来事があった」って事にしといた方が良いかな・・・ってなって。
その役割を任されたのが「アーデン・イズニア」と言う、アーデンに存在がソックリな羊飼いさんだった・・・と。
なので【FF15】の「アーデン・イズニア」が、何者だったのかは分かりませんが。
今回の二次創作では「物語の鍵を握る人物」として、「アーデン・イズニア=アーデンに存在がソックリだった羊飼い」という役割を引き受けてもらう事になりました。
という事ですので、【FF15】の「アーデン・イズニア」とは切り離して。
あくまでも「今回の二次創作では必要だった設定」として、読んで頂ければと思います。
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【「アーデン・イズニア」は、奇跡の羊飼い?】
そもそもの話。
二人の存在(見た目・性格・思想、等々)が似ていたから後世の人々に勘違いされ、二人に関する「記憶・想い出」がごちゃ混ぜになってしまった⇒なので「今のイオスの世界(子要素)」では「アーデン・イズニア」の記憶が混じった物が、「アーデン・ルシス・チェラム」の記憶となってしまっている・・・とは言っても。
【FF15】曰く、神の力を授かり、その力で多くの人を救おうと、寄生虫の病を治療する旅をしていた「アーデン(・ルシス・チェラム)」と。
極々普通の庶民というか、どちらかと言うと身分が低そうな羊飼い「アーデン・イズニア」の、どこが似ているのか?・・・って問題ですが。
これに関しては「感覚」でしかないです。
一番肝心な部分が「何じゃそら?」って感じですが。
何て言うか、ちゃんと発売当時に【FF15】を、2年以上経ってからDLCの【エピソード・アーデン】をプレイした方達にとっては【FF15】のアーデンの印象が強くて、「いや、そうはならんだろ?」ってなると思いますが。
七瀬の場合は【FF15】+【エピソード・アーデン】・・・つまり最初から物語の全体像をyoutubeのムービー動画を見たせいで、【FF15】での「アーデン=悪」って「記憶・想い出」の定着が薄かったのか、
「過去のアーデン⇒救世主⇒イエス・キリスト」のイメージがスッと入って来て。
「何か過去のアーデンって、イエス様っぽいな」ってイメージを頭の中に置いた状態で、【エピソード・アーデン】であの格好のアーデンを見たら、「いくら寛ぎモードとは言え、もうちょっとマシな格好は無かったのか・・・羊飼いやん?」と。
七瀬自身は「年末にクリスマス&年始に神社にお参り」という、日本人に有りがちな宗教観なんで日頃からキリスト教を信仰している訳では無く、あくまでも聞きかじり程度の知識と思って頂きたいのですが。
この「イエス様=救世主=アーデン」と繋がったアーデンが、質素な格好をしているだけで「羊飼い」と繋がった流れと言うのは。
随分前ですが、基督教系の幼稚園に通っていた息子が降誕祭で「羊飼い役」を、させて貰った事があって。
その思い出から、元々キリスト教に対しては「羊飼い」「羊」との結び付きが強いイメージがあり。
そう言えば「迷える子羊」とか、比喩表現としても「羊」ってよく出て来るな・・・って思いから。
他にも「羊飼い」とか「羊」って、具体的に出て来るのかなと思って調べたら、新約聖書の一節「わたしは良い羊飼いである」に行きあたって、
「じゃあ、やっぱり羊飼いでイイやん?」
ってなった・・・それだけです。だからこれはもう本当に、自分の人生に基づく「感覚」でしかない。
で「この世界の記憶・想い出は、ルシス王家によって改編・改竄されている」って考えは、もっと前からあったから。
常に「何かオカシイとこは、ちゃんとオカシイんだろうな」って目で見ていて。
だから、ここもオカシイ・・・つまり「改編・改竄された記憶・想い出=別人の記憶・想い出」って発想になり。
「別人の記憶・想い出」と言えば、アーデン自身が「イズニアは誰の姓だったか」って「別人の記憶・想い出」を、仄めかしている位なので。
このオカシイ部分のアーデンは、アーデンそのものの記憶では無く、アーデン・イズニアの記憶に侵食されたアーデンで。
侵食しているアーデン・イズニアという人物は、アーデンに存在がソックリだった「羊飼い」だったんじゃないか・・・って言うのが、今回の流れ。
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*ここからは「アーデン・イズニア」の事は「イズニア」と表記します・・・長いので。
ここまでが「アーデン・イズニア=羊飼い」になった流れな訳ですが。
ここからは次の問題「何で羊飼いと救世主が、同一視されてしまったのか?」について。
でもこれは先にも書いた、旧約 50の「奇跡の羊飼い」のままで変更しなくて良いです・・・あのイメージから変わっていないので。
要するに、イズニアは羊飼いという仕事柄、野草など自然の恵みを利用した治療・処置に精通していたので。
医療の発達していない貧しい村の村人たちは、自分達の手に負えないような病気や怪我をした時には彼を頼っていた。
このイズニアの「羊飼い=遊牧民(季節によって移動)」「自然の恵みを利用した治療・処置=神様みたいな奇跡」「貧しい村の村人たちを助けていた=命の恩人」が。
アーデンの「たくさんの人を救う旅(一所に定住しない)」「神から授かった力による治療=神の奇跡」「寄生虫の病に苦しむ人々を助けていた=救世主」と結び付いた。
とは言え、そんな羊飼いさんは沢山いただろうから・・・それだけなら、この「イズニア=アーデン」とはならない。
だから、その他の情報「見た目=赤毛の男性、長身、30代」とか、人となり・性格が似ていたとか、名前がズバリ「アーデン」だったとか・・・何かしら勘違いされる追加要素はあったんじゃないかな、とは思います。
正直、羊飼いというのは、身分の低い職業だっただろうし。
その上、村のコミュニティーからは外れた存在・・・正確にはその村の人間ではないってなると。
いくら彼に知識・技術があったとしても、彼はあくまでも余所者・・・村人達にそこまで信頼されるのは難しい。
でもイズニアがアーデンのような「聖者」「献身者」「カリスマ持ち」「天性の人たらし」だったら。
村から離れた所をウロウロしている、近くに住んではいるけど何か素性の知れない「胡散臭い男」でも、
「良く分からん男だけど・・・。
困ってる村人を助けてくれる、アイツはイイ奴だよ。」
身分が低くて貧しい生活を強いられている村人ほど、好意的だったんじゃないかな?
まぁ・・・貧しい村っていっても、そこでの上下主従関係はあるだろうから。
そこそこ力のある家の人間達は、彼に頼る必要なんか無いから邪険にしてたかもしれないけど。
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【許されない、身分違いの恋物語】
という事で【エピソード・アーデン】冒頭の、エイラとキャッキャしているアーデンは、アーデン自身の「記憶・想い出」では無く。
彼に存在がソックリさんだったイズニアの「記憶・想い出」に侵食・・・まぁ、役処を乗っ取られたアーデンだった。そんな感じ。
で、そうなって来ると次に問題になるのが、
「じゃあ、あの時一緒に居たエイラは、誰だったのか?」
ですが・・・「彼女もエイラ自身では無かった」と思っています。
何でかって言うと、今回の二次創作で考えるなら「エイラは氷神シヴァと同じく、氷神の魂を持つ存在」であるのが正解で。
正解のエイラの「記憶・想い出」が正しく継承されているのなら、今回の二次創作のようなエイラになっている筈。
でもこの冒頭のエイラは、ちゃんとアーデンの恋人に収まっていたり、「今のアーデンに必要なのは、休息と私」と冗談っぽく言ってみたりと・・・「氷神」の魂を持っているにしては、どうにも落ち着きが悪い。だったら、
「このシーンの二人は、本当のアーデン&エイラではなく。
イズニアの「記憶・想い出」に侵食されたアーデンと。
そのイズニアの「記憶・想い出」の中に有る、彼の想い人だった女性。」
このルートで考えてみたら、どうなるだろ?
・・・の、結果が以下の様な設定&物語になります。
イズニアは羊飼いと言う仕事柄、羊たちが食べる牧草を求め移動する遊牧民のような生活を送る男性で。
そんな彼が一時期を過ごすのに腰を落ち着けたのが、「彼女=ミルス」の家が村役を務める村の近くだったんだけど。
彼は昼間は羊たちの為に群を移動させ、夜には雨風の凌げる森で寝泊まりしていた。
つまり「村の近く」とは言っても、本当に距離的な「村の近く」であって。
生活に必要な物品をやり取りする時以外、彼が村に立ち入る事はなかった。
それは羊飼いというのはあくまでも余所者であって、閉鎖的な村である程、歓迎されない・・・それをイズニアは知っていたから。
彼らとの無用な争いを避ける為にも、イズニアは自分から彼らに接触する事を避けていた。
それでも人の噂話と言うのは広がるもので。
偶々、道中で蹲っていた村人の怪我を見てやったり、子供にチーズを分け与えてやったり・・・そんな彼の知識や、人となりが村人達の間で知れ渡ると。
碌な医療も受けられない貧しく立場の弱い村人達ほど、彼の事を好意的に受け止め、何かあった時にはと頼るようになり。
自分を頼ってくれる彼らに対し、イズニアも親身になって応えた。
そんなイズニアだったからこそ。
また翌年、その次の年・・・ふらりと戻って来て、しばらく滞在したかと思えば、また居なくなる。そんな生き方をしていても、戻って来た時には、
「今年もアイツ、戻って来てるらしいぞ。」と。
村の人間では無いんだけど、村人達には「神様のような羊飼い」として、その存在を受け入れられるようにまでなっていた。
そしてイズニアが羊たちを連れて戻って来た、何度目かのある年。
夕暮れ時の原っぱで、彼は一人の女性と出会った。
その明らかに場違いな格好をした女性に「何故、こんな所に?」と、思い声を掛けてみれば。
彼女は件の村の村役・・・中でも冠婚葬祭などの神事を任されている一家の娘で。
予てより話があった婚約話が強引に進められ、それが嫌になって着の身着のまま飛び出して来たと言う。
聞いた話・・・彼女の話は、自分達の一族の支配地を広げたい下級貴族に有りがちな政略結婚といった内容で。
気の毒には思うけど、羊飼いのイズニアなんかにどうこう出来る問題では無い。
それに信心深いイズニアにすれば、
「嫁入り前の娘さんが夜になっても戻らないとあっては、
親御さんが心配するだろうから・・・今日はもう家に戻りなさい。いいね?」
そちらの方が心配だったので・・・その日は彼女を村の近くまで送り届け「じゃあね」と、別れを告げた。
「あれ・・・偶然?」
「今日はもう家に戻りなさい・・・って言ったのは、貴方でしょ?」
そういう意味で言ったのでは、無かったんだけど・・・。
どうやらミルスは、見た目に反して行動派らしく・・・それ以来、時間を見付けてはイズニアの元に訪れるようになった。
それは普段、羊たちを生活の中心に。
神様への信仰を心の拠り所に生きてきたイズニアの生き方を、大きく変える出来事で。
羊飼いの仕事と言うのはのんびり羊たちを眺めている訳では無く、危険を伴う仕事・・・羊たちを狙う狼に群が襲われる事もあれば、羊たちが牧草を求め足元の悪い岩場を進む事も日常茶飯事なので、
「せめて靴は、もっと歩きやすい物が良いかもね。」
彼女の身を案じて村に戻る様に言っても、彼女が言う事を聞かないのなら、
「だって着替える間も惜しいんだもの。
でも・・・今度からはどこにでも付いて行ける様に、
もっと歩きやすい靴を履いて来るわ。」
それでも自分と共に居たいと、危険を承知で付いて行くと言ってくれるのなら。
イズニアはたくさんの羊たちの他に、守るべき大切な存在が一つ増えた・・・と言う事。
「アンブラとプライナも、彼女を守ってあげて。
頼んだよ。」
羊飼いにとっては、羊たちを守る事が最優先で。
当然、大事なパートナーである牧羊犬達も、羊たちを守る事を仕事としている。
その二匹にそう頼むという事は、彼女の存在は「最優先」と同等・・・若しくは、それ以上。
それ程までに、イズニアの中でのミルスの存在は大きく大切なモノとなっていた。
世間的に立場の弱い羊飼いの自分を蔑む事なく。
イズニアが「羊飼いなんかと一緒に居たら、親御さんに叱られない?」と心配しても。
彼の全てを「貴方はそれで良いのよ」と、受け止めてくれる彼女の心の深さに。
全てを受け止めた上で、それでも付いて来ると・・・一緒に居たいと言ってくれる彼女に。
「ずっと一緒にいてくれ」
身分違いの恋だと分かっていても、そう願わずにはいられない。
イズニアは何時しかそれ程までに、彼女を「一人の女性」として愛していた。
そしてミルスも。
イズニアは「羊飼いの話なんて、聞いてて楽しいの?」と、言うけれど。
村の外の事なんてほとんど知らないミルスにすれば、彼が語る広い世界、そこに住む人々、その自然の美しさ、優しさ、厳しさも。
何より、どんな苦境にあっても、不当な扱いをされても、他者を恨む事も蔑む事も責める事もない。
「オレはこの仕事を誇りに思っているから、
他人に何を言われても、どう思われても構わない。
それに・・・神様はいつだって、真実を見て下さっている。」
そう言って全てを許す・・・彼の人としての心の広さに、まるで「神様」自身のような全てを包み込む空気感に。
本当は、ずっと一緒にいたい。
許されない恋だと分かっていても、そう願わずにはいられない。
ミルスは何時しかそれ程までに、彼を「一人の男性」として愛していた。
彼の生活は羊たちが中心なので、羊たちが食べるだけの牧草が得られなくなれば、牧草を求め他の地域へと移動してしまう。
だから彼女が彼の傍に居られるのは、この辺りの牧草が生い茂っている間だけ。
ずっと一緒に居る為には、彼の旅にミルスが付いて行くしかない。
でも村には、彼女をここまで育ててくれた両親が居て。
自分が望んだものでは無いけれど・・・家や村の事を思えば、無碍にも出来ない婚約者もいる。
政略結婚だと分かっていても、例え愛情なんてこれっぽっちも無くても・・・この婚約者を捨てて羊飼いのイズニアを選ぶなんて事、許される筈が無い。それでも・・・、
「ずっと一緒にいてくれ」
貴方がそう望んでくれるのなら。
貴方の傍に居られるのなら・・・私は他の何を失っても、きっと後悔しない。
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ここまでが【エピソード・アーデン】冒頭から膨らませた、イズニア&ミルスの「身分違いの恋物語」となります。
つまり前回書いた「甲斐性無し」ってのはアーデン自身ではなく、イズニアの方だった・・・と言う事に(アーデンは甲斐性無しではなく、単純に女心に疎かっただけ)。
確かに、羊飼いと良いトコのお嬢さんの身分違いの恋なら、家族を養っていく為の生活基盤が心許ないと言うか。
そもそも羊飼いという職業が社会的地位&仕事内容柄、所帯を持つのに向いていない上に。
今回はアーデンの「一所に留まらない」という設定に寄せる為。
羊飼いは羊飼いでも「牧草を求めて移動を余儀なくされる、遊牧民のような生活をしている羊飼い」にしてしまったので(でもこれは「牧草地で放牧では餌が間に合わない位、大規模」という事なので、羊飼いとしては成功者かも?)。
二人が結ばれる為には「ミルスが全てを捨てて、イズニアについて行く」か「イズニアが羊飼いを辞めて、村に定住&安定した仕事に就く」のどちらかを選ばなきゃならない。
・・・んだけど現実問題、神様から与えられた羊飼いという仕事を誇りに思っているイズニアが、それを放棄する事は無いだろうし。
ミルスもそれが分かっているからこそ、羊飼いを辞めて村で一緒に暮らそう・・・とは言えないので。
その心中を思えば・・・あの【エピソード・アーデン】冒頭のエイラの、幸せそうなのにどこか憂いを滲ませる表情も納得かな、と。
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