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落書き帳の10ページ目

◆無断転載 禁止(ご確認下さい)◆ https://xxaoixx.blog.shinobi.jp/Entry/73/

FF8:[71] エルとイデアと白いSeedの船

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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*

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【七瀬の幻想による筋書き】
①クレイマー夫妻はオダイン博士からエルオーネを守る為、白いSeedの船を手に入れた。
②でも白いSeedの船って、本当に大海原に出て逃げていたのかな?もしかして普段はイデアの家の裏口から行ける海岸に停泊してただけ・・・って可能性は無い?
③つまり「遠くへ逃がす為に、エルオーネを白いSeedの船に乗せた」のではなく、実は「直ぐ近くで守る為に、エルオーネを白いSeedの船に匿ってた」って事。

 気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。


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 他の記事を書いていて、ふと思ったのが「エルオーネが白いSeedの船に乗り込んだのは何時だっけ?」という謎。エルオーネが白いSeedの船に乗り込んだ時期って、孤児院時代のどこかのタイミングくらいのモノで、作中では明確になっていなかったと思うのですが・・・どうだったかな?もしかして後年の書籍とかインタビューで明らかになってたりするのかな?
 一先ず、明確にはなっていないとして話を進めると。
 実はどのタイミングだったかって、それこそ「どっかのタイミングで乗り込んだろうな」「あれだけ必死にスコールが探してたんだから、既に居なかったんだろう」「多分、スコールがガーデンに移される前orほぼ同時くらい?」みたいに、プレイヤーによって曖昧なまま脳内処理されてたんじゃないかな?
 でもこの問題。確かにエルオーネだけなら「どっかのタイミングで乗り込んだろうな」で良かったかもしれませんが、「白いSeedの船には、イデアが船長として乗っていた」という事実が加わると少々ややこしい。
 だってこの事がらを素直に捉えるなら、イデアはエルオーネと同時に船に乗った=エルオーネが船に乗ったタイミングで、イデアも孤児院から居なくなった・・・という事になってしまいます。もしも孤児院時代の回想前にエルオーネが船に乗っていたなら、作中で描かれていた孤児院時代にはイデアも居なかった筈に。
 普通に考えると、それは難しいような気がします。だってママ先生(=イデア)が、一人の子供(=エルオーネ)を守るために、他の孤児たちをシド一人に任せて、孤児院を出てしまうって事でしょ?まぁ、イデアはエルオーネを特別視していたので、絶対に無いとは言い切れませんが・・・物語として如何なものか?

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 と、そこまで考えて思い当たったのが「本当にたった二人で大海原に繰り出す事が、エルオーネを守る最善手なのか?」って事。
 確かにエスタもまさか海に逃げてるとは思わないだろうから、逃げ場の候補にはなると思います。でもたった二人(多分、プロ級の腕前でもない)で航海するのって、どう考えてもリスクが高くないですか?
 と言うか。イデアの家の裏庭&海岸から灯台が見えるじゃないですか。しかも海岸でこどもだけで花火をしていた回想シーンでは、ちゃんとこの灯台は稼働していました。つまり今は分からないけど、少なくとも過去には灯台は稼働していた。
 って事は、どういう事か?さすがにこの灯台をイデアが白いSeedの船の為に建てたとは思えない(稼働はしているけど、塗装が劣化している)=この灯台は元々あった灯台という事。立地的に考えればガルバディアがセントラ発掘現場(入江)に入るために目印として建てたのかな?
 確かに孤児院時代にはセントラ発掘現場の調査は終わっていたと思いますが(大石柱はラグナが大統領になる前に海中投棄済み)、全くの用無しになってたら、あんな辺境の地の灯台を稼働し続ける必要無いだろうし・・・灯台が稼働しているという事は、まだこの辺りの海は船の航行が少なからずあったって事じゃないかな?
 まぁ、建てたのがガルバディアでも過去の遺産でも何でも特に問題ではなく・・・大事なのはそこに灯台があって、それをエスタは知ってたって事(過去にセントラ発掘現場を探りに来てたので)。だとすれば、別にセントラ発掘現場の調査云々が終わっていても、灯台があるというだけでそこはセントラ大陸方面への目印にされてしまう訳で。
 一回出航したら数か月帰ってこないマグロ漁並ならとにかく、そんな海域を行き来するのって、思ったよりも危なくないかな?船のスペックで言えば、遠方から来ているエスタの船の方が上&見通しの良い大海原でそんなのに見付かって追い掛けられたら、白いSeedの船では振り切れないだろうし。
 仮に、海上を移動していたのは場所を転々とする為であって、ほとんどは安全そうな入り江に停泊していたとしても、二人ぼっちって何かあった時にどうすんの?・・・って、入り江に停泊してるなら別に近くの入り江に居ればいい話で、外海に出る必要無くない?いや、何となく逃げ回ってる方が安心って気持ちは分からんでもないけど、メリット・デメリットのバランスってどうなのかな?

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 で、ここに来ての逆からそもそも論。それが「白いSeedの船は大海原に出ず、入り組んだ湾内(=イデアの家付近の入り江)に居た方が安全なんじゃないかな?」って発想。
 先にも書きましたが、エスタも最初からエルオーネが船で逃げているとは思っていない筈です。海上か陸地かって言ったら、普通は陸地でしょ?何かしらの情報を掴んでいるのでも無い限り、いきなり人探しで海を探す人ってそうそう居ない。
 じゃあ、オダイン博士の指示でエスタの兵がエルオーネを捜しに、セントラ大陸にやって来たとしましょう。陸路でやってきて孤児院を見付け、「エルオーネという少女を知らないか?」と聞かれます。この時、エスタ兵の態度が威圧的なのか暴力的になのか意外とご丁寧になのかは分かりませんが、対応にはシドが当たると思います。
 何故、イデアではなくシドなのか?それはイデアは船長として、エルオーネを匿っている白いSeedの船に乗らなければならないからです。
 要するに、相手が陸路からやって来るのであれば、やって来た後に船に乗り込むのでも十分間に合うんじゃないかな?だって怒ったエスタ兵がシドの制止を振り切って孤児院に侵入し、裏口から行ける海岸に気が付いてそこへ向かったとしても、船は既に沖合数十メートル。数十メートル離れてしまえば、生身の人間ではそう簡単に海上の船には辿り着けないでしょ?エスタ兵からしたら、そこを走っている船に目的のエルオーネが乗ってるかなんて分からないし。そりゃ自分たちも船で来てるなら「怪しいな・・・追うぞ!」って、念の為に追い掛けるかもしれないけど。陸路で来てるんじゃ、どうしようもない。
 それにこの作戦の一番の利点は、見付かる前に入り組んだ湾の影に隠れる⇒エスタ兵が船の存在に気付かなければ「居なかった」で済む事。これはかなりオイシイ展開。

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 確かに船で逃げるトコを目撃されてしまったら、次は船で乗り付けて来る可能性が高いけど。シドが上手く時間を稼いでくれたんじゃないかなぁ・・・とか。イデアとエルオーネの二人で常時海上生活って厳しいよなぁ・・・とか。イデアが船長として乗る(=孤児院からいなくなる)事のデメリットを考えると、この位の距離感で様子を見るってのもアリじゃないかな?
 つまり、白いSeedの船は常に海上を逃げていた訳では無く、危険な状況と判断した時に逃げられるように、イデアの家・裏口からつながる海岸に停泊していただけ。
 なのでイデアは、船を出す時には「イデアが船長として乗っていた」けど、その他の時は普通に孤児院に居た(=船と孤児院、どちらも行き来が可能)。
 後年は居場所がなくなった孤児を迎えに行く時もあり、その時も「イデアが船長として乗っていた」(=孤児を迎え入れるのはイデアの本質)。
 しかし遠い未来からUltimeciaがジャンクションしてくるようになったので、エルオーネを守るためにイデアは下船。
 Ultimeciaに心を明け渡したイデアの傍に居る事は出来ないので、他の白いSeed達と共に、白いSeedの船は海上(主にセントラ大陸周辺)を航海・停泊するようになった。
 こう考えた方が辻褄が合う気がするんだけど・・・どうかな?

 白いSeedの船について、シドは次のように言っていました。
「白いSeedの船。
 最初はしつこいエスタから
 エルオーネを守るために手にいれました」
「イデアが船長として乗っていたのですが
 いつのまにか子供たちを集めて
 孤児院のようにしてしまったのです」

 エルオーネの事を尋ねると、ラグナはこう言っていました。
「クレイマー夫妻はエルを守るため
 孤児院から外へ出した」
「そのために、でっかい船を
 用意したって話だけど
 まったくありがたいことだよな」
「そのうち、その船は孤児院みたいに
 なっちまって、エルは船でちびっ子たちの
 世話をしながら暮らしてたってよ」

 ラグナが言っている事は前述のシドと同じですが、気になるのが「孤児院から外へ出した」という表現です。「孤児院から外へ連れ出した」ではなく「孤児院から外へ出した」・・・これって本当に「孤児院から外へ連れ出した」んじゃなくて、「孤児院から外に出した」だけって意味だったんじゃないかな?
 白いSeedの船はオダイン博士から逃げるための「手段」ではなく、守るための「器」だった。
 そして白いSeedの船が鎖で繋がれていたのは、遠い未来のアルティミシア城が鎖で繋がれていた入り江と同じ場所。もしかしたら長い年月を経て白いSeedの船が変質してしまったのが、遠い未来のアルティミシア城だったんじゃないかな?

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 話が逸れてしまいましたが。もしも本当に「白いSeedの船は常に航海していた訳では無く、普段はイデアの家・裏口から繋がる海岸に停泊していた」のだとすると、物語の見え方が少し変わってきます。
 まずエルオーネは「白いSeedの船に乗り込んでスコールの前から姿を消した」のは事実だとしても、「実はすぐ近くに停泊している白いSeedの船の中に居た」という事になります。
 そしてイデアは「エスタ兵の手が及びそうな危険な状況」及び、「行き場を失った孤児を拾う(=孤児院のようになった)」場合にのみ、「船長として白いSeedの船に船長として乗っていた(=普段は普通に孤児院でスコール達のママ先生をしていた)」という事になります。

 勿論「花火をしてた位だし、あそこに停泊してる位ならスコールは迎えに行くだろ」という意見はご尤もです。でも七瀬が思うに、あのシーンは「子供だけで花火をして怒られた」となっていますが、本当は「子供だけで海岸まで行ってはいけない」という決まりだったんじゃないかと思っています。
 これはもっと他の意味も兼ねている気もするのですが・・・ドール(復興後)の海岸に、お母さんを待ち続けている女の子がいましたよね?その父親と思われるパブのオーナーの手記には、

「海に落ちた娘を助けようとして
 奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・
 娘は、死を理解できていないようだ・・・・・・
 私だって、ちっとも解らない。」

 と、書かれていました。この娘に関して言えば「2年目の秋」に生まれ、「3年目の夏の終わり」に海に落ちたという事なので、1歳手前での出来事ですが。
 孤児院の子供達だって、あんな小さな子供たちだけで海岸まで行くのって、よくよく考えたら危ないじゃないですか?回想シーンを見るに、波の引きが強い気がするし、夏になると話題に上がる離岸流とか・・・少女のお母さんが亡くなったように、場所によっては大人でも危ない(リアルおかんの発想)。
 勿論、ファンタジーで済ませるなら、別に気にしなくてもいい事です。「何でそこだけ、リアル思考なんだよ?」って話。
 でも、こうして物語の中に落とし込んであるって事は、少なくとも【FF8】の世界では「海は大人でも危ない所」って認識なんじゃないかな?でないと片方では死人が出てるのに、片方では子供だけでも大丈夫ってバランス悪くない?

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 七瀬が思う結論としては、エルオーネは「実はすぐ近くに停泊している白いSeedの船の中に居た」んだけど、その「すぐ近く」はスコール達にとっては「とても遠い所」だった・・・って事。う~ん、切ない。

 そして、エルオーネが「実はすぐ近くに停泊している白いSeedの船の中」に居る事を、スコールは知っていたのか?それとも知らなかったのか?
 また、エルオーネは普段は孤児院に居たのか?それとも常に白いSeedの船に隔離されていたのか?

 それによっても「姿を見せない孤児院時代のエルオーネ」の見方は変わると思うのですが・・・どうでしょうか?

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