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落書き帳の10ページ目

◆無断転載 禁止(ご確認下さい)◆ https://xxaoixx.blog.shinobi.jp/Entry/73/

FF8:覚え書き いろいろ ②

*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*

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【『SeeD』の敬礼】
 『SeeD=本来は和平交渉人』と考えれば、結婚指輪を見せるor見せ合うポーズ(ラグナ&レイン)は、「相手に最上級の愛情を持って接する心」の現れ。例え敵対関係にある交渉相手にも愛を持って接するって事だから、本来の『SeeD』には相応しい敬礼じゃないかな、と。
 メタい部分で言えば、よくある既存の軍事式の敬礼は「世界を相手に考えた場合、ちょっと使い辛いな・・・」ってのもあるかもね。『FF8』の場合、視覚的に見えてしまうので。

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【スコールの武器:ガンブレード】
 見栄えとかシステム的な面よりも「ガン(銃)」と「ブレード(剣)」が融合した武器・・・って事に、意味があるんじゃないかな?新旧の武器の融合体であるガンブレードを使いこなせる事と、SeeD(=異なる文化を繋ぐ『和平交渉人』)の素質を掛けてる・・・みたいな。
 ガンブレードと言えばシド学園長がSeeDには、まだ、ガンブレード使いはいないのです。」「だから君とサイファーには ぜひSeeDになって もらいたいのですよとか、「ひそひそ・・・・・・ (これでガンブレードのSeeDですね)」と言っていましたが。武器としては「扱いのむずかしさから現在はすたれれつつある特殊な武器」ですよね?
 もしかしたら、それぞれの特色があるんだから、何でもかんでもくっ付ければいいってモンじゃない・・・って意味もあるのかな?。無理にくっ付けるよりも、お互いの個性を尊重しあった方がイイ事もある、みたいな?

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【カードゲームの存在意義】
 「『FF8』のメインはカードゲーム」という人も居るらしい、カードゲーム。あれって分かりやすく「カードゲーム」って体裁を取っているだけで、「世界文化の流動そのもの」を示してるんじゃないかな?
①そのエリアのルールに則って戦う=郷に入っては郷に従え。
②旧エリアでプレイした後、新エリアでプレイすると、新エリアに旧エリアのルールが伝わったり、新エリアのルールが廃れる事がある=異なる文化の流入と、それに伴う衰退。
③トレードルールが変化する仕組みと、盛ん度(ピークまでは急速に広まるけど、一定値を過ぎると減速し、最終的には1つのルールに収束。これを1周期として繰り返す)=世界的流行の興隆と衰退。
④カードクイーンに30000ギルを支払うと、クイーンが居るエリアに新しいルールを追加してもらえる=その道のプロに正当な報酬を支払って、自分達の文化を広める手伝いをしてもらう。

 その他、カードクイーンの父親(ドールの画家)は、レアカードから新しいレアカードを描いてくれるし。パブのオーナーも「レアカードは一か所に集まっているよりも、色々な人が持っている方がイイ」みたいな事を言ってなかったっけ?そういうのも、他の文化から影響を受けて、新しい文化が芽生えるとか。文化は一極集中しているよりも、色々な地域でそれぞれの特色を持った文化が栄えている方が自然でイイ・・・って事なんじゃないかな?

 そう考えたら、彼女の大層な自己紹介。
「わたしはカードクイーン。
 カードゲームのルールの乱れを 監視するために世界を旅しています」
 ってのは「世界文化の流動・秩序の乱れを 監視するために世界を旅しています」=「世界文化の流動は皆にとって平等なルールに則っているべきであって、それが暴力などによって捻じ曲げられる事は許されない」って事なので。単なるゲーム好きじゃなくて、その自己紹介に恥じない大きな使命を背負ってたのかな・・・なんて思ったりもします。

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【『Eyes On Me』は、何を歌った曲?】
 ジュリアが『Eyes On Me』を創った&歌うようになったのは、ラグナが新たな任務でデリングシティを離れてから(そしてラグナは帰ってこなかった)。
 だとすると、『Eyes On Me』の歌詞はちょっと「変」じゃないかと。

 歌う時はいつも ステージで独りきり
 語る時はいつも 聞いてほしいと願ってた

 そのたびに、あなたが笑っていたような
 本当かしら、気のせいかしら
 あなたはいつも片隅にいた ちっぽけな、このバーの

 上の二行だけなら「今のジュリアが、ラグナが通っていた頃を思い返している」と思えば、分かるんだけど。下の三行まで見ると「?」ってなりませんか?だってラグナの特等席は「いつもの特等席(=ゲーム中に座った場所)」・・・あそこをあなたはいつも片隅にいた ちっぽけな、このバーのって表現するかな?特等席だよ?

 率直に言えば、別れ際に「また会える?」「もちろん。 歌、聴きに来なくちゃ」と約束していたラグナが、本当に会いに来ていたんじゃないかと、七瀬は思うんですよね。
 勿論、ラグナ本人はウィンヒルで瀕死の重体です。でもそれって逆に言えば、幽体離脱とか魂とか『G.F.』みたいな「魂が身体を抜け出して、思い出の地へ行く系のイベント」には、持って来いな状況じゃないかと。

 つまり、ウィンヒルで寝たきりの間、ラグナの魂はジュリアとの約束を守る為に、ジュリアの元を何度も訪れていた。
 そんなラグナの存在を「ラグナがココに戻って来て、私の話を聞いてくれていたらな」と思う度に、「バーの片隅で笑う貴方の幻影が見えた気がしたの・・・本当かしら、気のせいかしら?」とジュリアは感じていた。その心の内を歌ったのが『Eyes On Me』だったんじゃないかな?

 もしかしたら・・・ジュリアはこの体験(=ラグナの幽霊?)から「ラグナは死んでしまったんじゃないか?」って思って、カーウェイとの結婚に踏み切ったのかもしれないしね。だったら「ジュリアがラグナの帰りを待たなかった&ひどく心が弱ってしまった」のも納得だし。

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【『フィッシャーマンズ・ホライズン』という名前の由来】
 もしもスクウェアが『F.H.』に『FF8開発室』という幻想を重ねていたのなら・・・『F.H.』=当時スクウェアが所有していた、『ホノルル・スタジオ』(設置:1997年5月~閉鎖:2002年3月)に引っ掛けているんじゃないかな?
 でも、どっちかって言うと『ホノルル・スタジオ』は例の『FF(映画)』とか『FF9』を創っていたイメージが強いんだけど・・・どうだろ?『FF8』って『ホノルル・スタジオ』関係してたのかな?
 時期的には『FF7(1997年1月発売)』の後に設置しているので、『FF8』の開発時期と被ってるのは間違いないと思うんですけどね。

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【セルフィバンドの正解は『アイリッシュジグ』?】
 『アルティマニア』に書かれている分岐は「●アイリッシュジグ ●バラード ●ふたつの曲が混在(サックスあり) ●ふたつの曲が混在(サックスなし) このうち、会話がふつうに進むのは、アイリッシュジグのときのみ。」つまり、「アイリッシュジグが正解」とも書いてないんですよね。
 その他に関しても「ほかの場合だと、それぞれ異なる反応を見られるが、結局は話がこじれてしまうのだ。」と書かれているだけで、明確に「その他は失敗・不正解」と書かれている訳でもありません。だから開発陣としては「好きなのを選んでくれたらイイ」って事なんじゃないかな?

 ただ事実として「『アイリッシュジグ』を選んだ時だけ、会話がふつうに進む」ってのがあるので。それが何でかと言われれば・・・FF8』には、これからの世界での多様性の大切さというメッセージが込められている。だからバラード(=FF8テーマ曲『Eyes On Me』)だと「自己主張が激しくて、なんか思惑が見えていやらしい」ってなるし、変にごちゃ混ぜだと「何でこんなのがイイのか分からない」ってなる。
 「みんなで仲良くやって行こうよ!」を訴えたいからこそ、アイルランドの各地方に伝わる伝統的なダンスの伴奏をベースに持つ
『アイリッシュジグ』だけが、会話がふつうに進むんじゃないかなぁ?

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【対象を変化&戻す魔法は、何で無くなった?】
 何故か『FF8』では無くなってしまった、『トード』『ポーキー』『カッパー』など、対象を変化&戻す魔法。疑似魔法が魔女の魔法に由縁するなら、魔女っぽい技としてあった方が世界観的には合ってるような気がするんだけど。単純に、頭身の高いポリゴンキャラを、蛙・豚・河童に変身させるのに違和感があったから削除されただけ・・・なのかな?
 もしかしたら、『FF8の魔女』は、そもそも変身魔法を使えないって可能性はないかな?魔法で変身=自身の若返り・肉体修復が可能になってしまうと、『悪い魔女の末路』を回避できるようになってしまうから。
 もう一つは、『魔女の力』には、物質(=実体・実物)を変える力はないって可能性。『魔女の力』は、あくまでも幻想から幻想を生み出す力であって、実際にある物体を捻じ曲げる事は出来ない・・・みたいな。つまり、炎を出したいって気持ち(=幻想)から、幻想の炎が生まれる=ファイアって事。

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【『Jの悲劇』は、本当にジャム?】
「・・・・・・覚えてるか?
 あの『Jの悲劇』・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
「軽く怒らせた時、靴にジャムを仕込まれて
 おまえ・・・・・・本当に半泣きになっていたな・・・・・・」
「今・・・・・・思い出しても 鳥肌が立つぜ・・・・・・」
 という、ラグナ君トラウマ全開の『Jの悲劇』。
 『〇の悲劇』シリーズのパロディ物という印象を押し出す為なのか、ジョークっぽいテイストを感じるのですが・・・あの辺り一連のやり取りは、何か違和感を感じるんですよね。
 ラグナの実体験&キロスがその場面に遭遇しているからには、何かの例えでは無くて実際に「怒ったエルオーネが、ラグナの長靴にジャムを入れた」という出来事はあったんだと思います。でもこの出来事が意味する「本当の意味」は、別にあるんじゃないかな?
 これはジュリアのスペルが『Julia Heartilly』だとすればですが、『Jの悲劇』の『J』はジャムではなく、ジュリアの事を指している・・・って可能性は無いかな?

 普通に考えれば、ジュリアとエルオーネの接点って全く無い筈。エルオーネがジュリアの事を知ったのは、キロスがウィンヒルの村に来た時のラグナとの会話・・・つまり「ラグナとジュリアの関係が終わってから」です。
 でも、この時点のエルオーネが、JMLに相当する不思議な能力を既に持っていたなら。この時点から過去に遡ってジュリアの運命に干渉する(レインの為に干渉する)事が、出来たんじゃないかな?

 つまり『Jの悲劇』は悪意があって起こしたのではなく、「ラグナがレインと結婚しないのは、ジュリアって人が好きだから?」っていう「れでぃ~の焼きもち」が引き起こしてしまった、『ジュリアの悲劇』だった?
 だとしたら「普段、お気楽そうなラグナが本気で半泣き」になっても仕方がなくないかなぁ?子供がした事だから怒れないけど・・・やり切れないよね。レインとの未来にスコールが生まれる事を考えると、修正する訳にもいかないし。

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【アルティミシアで『キャラの血液型』は公開OKな理由?】
  以前【七瀬の最大の謎・アンジェロちゃん】で、
 『FF8』はプレイヤーの幻想を制限しない為、出来るだけキャラの個性を限定させないようにしている。
  ↓
 好物って食文化(お国柄)が出る=「お寿司が好きって事は、〇〇はXXの国のイメージなのかな?」って先入観を植え付ける事になる。
  ↓
 だから直接キャラのプロフィール欄に好物を書く事を避け、その代わりに多様性の象徴であるアンジェロに請け負ってもらった。
 というような事を書きましたが・・・一つ思い当たる事を思い出したので付け足しておきます。

 この記事を読んで「だったら血液型を公開してるのは、おかしくない?血液型から性格とか推測されちゃうよ?」と思われる方もおられるかもしれませんが・・・そもそもそれが「日本人特有の感性」なんじゃないかと七瀬は思うんです。
 どういう事か?簡単に言えば、血液型を見て「A型は几帳面」「O型って事はおおらか」なんて発想を持つのは日本人くらいで、ゲームキャラの情報に血液型が描かれていても外国の方は「何でわざわざこんなデータ載せてるんだろ?」って思うだけって事です。
 だからリノアの血液型が「?」になっているのに対しても、日本人は「魔女だから、血液型が?(特殊・ミステリアスな感じ)なのかな?」と思えるかもしれないけど。そもそも自分の血液型すら知らない人も多い外国の方が見ても「オー、俺も自分の血液型知らないよ」ってなモンで、全然引っ掛からないんじゃないかな?

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