落書き帳の10ページ目
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FF8:覚え書き いろいろ ①
- 2021/02/13 (Sat) |
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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【セルフィは日本人っぽい?】
セルフィ=セルフィー(英語: Selfie)=自分撮り(最近iPhone 12のCMで知った)。つまり制作陣(日本人)を投影したキャラ(もう少し広く見れば東洋人)。
彼女のトラビア弁(関西弁風)は、その国の訛りに置き換える事は出来るかもしれないけど、正真正銘そのニュアンスまで伝わる・理解出来る資質を持っているのは日本人だけ。
だからセルフィが好きな物は「お寿司」(アンジェロ談)。
流行らせたかった挨拶「まみむめも!」は、国民的アニメ・ライバルキャラのアレ。
日本人に近い感性なので、日本人受けがイイ。
高井氏曰く「セルフィはなんでもアリだったから、ネタを考えるのが楽しかったなぁ(笑)」・・・他のキャラは「〇〇人っぽいキャラで」みたいな縛りでもあったの?
でも「例のパン〇ラ」が日本人向けサービスかと思うと、少し複雑ではある・・・けど、「パン〇ラは日本文化」という意見もあるなら、それはそうかもね。
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【「だったら壁にでも話してろよ」】
・・・まぁ、スコールが「『SeeD=本来は和平交渉人』の資質を持つ者」という前提で創られているのなら。話を聞くだけでは「交渉人」の仕事は成立しないので、自分が出る幕じゃないって思っても仕方ないかなぁ。
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【デリング大統領は何故、生け贄にされた?】
これはそのまま、デリング大統領が、新旧の融合を望む次世代の誘いを無視し、昔からの悪しき思想・言動を、自他国民に強要する主導者だったから・・・かと。
実はデリング大統領の生存ルートは、「『大統領拉致作戦』でリノア達・森のフクロウと合流⇒和解する」だったと思うんですよね。言ってみれば、デリング大統領が載っている車両は「昔からの悪しき思想・言動を推し進め、周囲を見ないで真っ直ぐ破滅へと突き進んでいる状況(ハイテク嫌い=新しい思想・言動を受け入れない象徴)」。
そしてリノア達の車両は途中に割り込み、大統領車両と接続して別ルート(生存ルート)へ脱出。護衛車両とダミー列車はそのまま直進・・・つまり破滅の道へと進みます。そう考えれば『大統領拉致作戦』は、実は『大統領救出作戦』だったんじゃないかな・・・と(爆破しちゃダメだよ)。
あの時、偽物なんか寄越さずに、森のフクロウと和解していればなぁ・・・。彼のその行いは「和議のテーブルにも付かなかった」という事。「全部を否定してるんじゃない。お互いの良い所を活かしあって、一緒に世界を良くしようよ」という、新旧の融合を望む、次世代の誘いを無視したって事です。
偽デリング大統領の正体『ナムタル・ウトク』を、『ナムタル・ウドゥグ(シュメール語)』だとすれば、その意味は『死の運命(諸説あり)+悪霊・魔物の総称』だとか。・・・それって、ここで既に死亡フラグが立ってた、って事じゃないかな?
尚、もっと手前で言えば・・・デリング大統領が個人的にアナログ主義な分には、生け贄にはされなかったと思います。「大統領という立場で、他者に強要するのがダメだった」って事。
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【ドールの『海辺で母親の帰りを待つ少女』=『パブのオーナーの娘』?】
これって確定だったっけ?それとも状況証拠だけ?素直に考えたら、彼の部屋の『汚い本』に出て来る、
「海に落ちた娘を助けようとして
奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・
娘は、死を理解できていないようだ・・・・・・
私だって、ちっとも解らない」
と、海辺で「・・・・・・お母さん」「・・・・・・帰ってこないかな」と、母親の帰りを待つ少女は同一人物=『パブのオーナーの娘』だと思います。素直に考えれば、だけど。
でも「彼女の存在」が、何を意味していたのか分からない。「5年前に自分を助ける為に母親が亡くなった」&「それに気付かず、母親の帰りを待ち続ける娘」と、「5年前に妻(伴侶)を失って、時が止まっている父親」。
彼の時が止まったのが「3年目の夏の終わり(妻が溺れ死んだ)=5年前」だとすると、「2年目の秋(娘が生まれた)=6年前」。じゃあ「1年目(最初に書かれている馴れ初め)は7年前か?」って話ですが、「7年前の1年目は、結婚して1年目」であって、その前に出会ってからプロポーズするまでの「春(風が暖かくなったころ)~冬(初めて雪がつもった夜)という1年間=8年前」があるって事ではないかと。
そう考えると、「妻と出会った『8』年前」っていう数字に意味があるのか?
「『1』年前」っていう『1』は避けるのに、『2』『3』は表記する事に意味があるのか?
・・・『パブのオーナー』の正体も分からないので難しいなぁ。「『1』は書かないのに、『2』『3』は表記する」ってのは、ナンバリングの打ち方のイメージだけど。北米では当初『FF4=FF2』『FF6=FF3』って出してたらしいけど・・・関係あるかな?
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【『ドールのパブのオーナー』の妻は、カードクィーン?】
カードで負けた相手=スコールで2人目・・・って事は、彼自身も相当な強者ですよね?5年前まではレアカードもたくさん持ってたんだから、対戦回数自体が少ないって事も無いはずです。
つまり、あのオーナーをあれだけ負かそうと思ったら、生半可な強さでは話にならない。「あのオーナーに唯一、土を付けられそうな相手(しかも女性)=カードクィーン」という構図が過りますが、「オーナーが唯一負けて、プロポーズし「娘」を儲けた伴侶=カードクィーン」ではないかと。だって本に「奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・」って書いてあるから。
それに「父:パブのオーナー・娘:海辺の少女」を確定とした場合、「妻(母):カードクィーン」が成立しない理由が他にもあります。それは「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」という系譜。こちらは「カードクィーンに負けて特定のレアカードを取られると、そのカードから画家が新しいレアカードを描き、以前のカードは孫に渡る」という明確な流れがあるので、確定とします。
つまり「妻(母):カードクィーン」だと、彼女を軸に二つの家族が繋がる事になります。
そうなると、画家の「お嬢ちゃんのお母さん。早く帰ってくるといいねぇ・・・・・・」という台詞や、孫の「ボクとは遊んでくれないのに 女の子とは遊んでるし! なんでだよ!!」という台詞が不自然です。だって画家からすれば「お嬢ちゃんのお母さん=カードクィーン=自分の娘」だし。孫からすれば「女の子のお母さん=カードクィーン=自分のお母さん(つまり二人は兄妹)」になる筈ですから。
なのに何でこんな面倒な設定「妻=カードクィーンと思わせて、実はカードクィーンではない」を持たせたのか?
う~ん、可能性としては「父:パブのオーナー、娘:海辺の少女」と「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」に、直接的つながりはない。けど「妻(母):カードクィーン」の影をちらつかせる事で、2つの関係を繋ぎたかった・・・とか?
もしくは純粋に、この二人の馴れ初めに何らかの意味を持たせているから・・・かな?
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【レインも『魔女』だった?】
『魔法のハイン』の正体は「月」であり、「月に「貴方の力を貸してください」と願い、実際に月の力を授かった女性」だけが『魔女』、というなら、レインが『魔女』だったかは分かりません。
ただ、名付け親のテムが「女の姿をした『魔法のハイン』。私はこれを魔女と命名する」と断言しただけで、別に「不思議な力の根源が『魔法のハイン(月)』の力とは限らない」なら、レインも『魔女』だったんじゃないかな、と思います。
七瀬が思う『魔女の誕生』は、「大切な人を守りたい」という女性の謙虚な心からの願いに「月」が共感し、「月」の不思議な力の一部を授けたという考え方ですが、でもこれはテムが魔女の力の根源を『魔法のハイン(月)』に限定しているからであって、本来なら「月」でなく「あらゆる自然」が対象で良いと思うんですよね。
で、その前提に、ウィンヒルのサブイベントでのお婆さんの台詞を重ねると・・・、
「レインほど、花の心が分かる人は いませんでしたわ」
つまりレインは「月の魔女」ではなく、「花の魔女」だった。
レインが花・・・つまり薬草関係の知識に長けていた、花たちの力を持っていたからこそ、崖から紐無しバンジーで死にかけた満身創痍のラグナも奇跡の復活を果たせたんじゃないかな?
まぁ、レイン(花・薬草)の力だけで、体中バラバラだった人が後遺症もなくピンピンしてるのも、無理がある気はしますが・・・七瀬的には、そもそもあの閉鎖的な村に死に掛けのラグナが運び込まれたところで、どうやって治療したのかは謎なんですよね。
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【リノア=「月」なら、スコール=「太陽or星」?】
リノアは『Ultimecia』で、『Ultimecia』=月。だから、リノア=「月」・・・という筋書きで行くなら、スコールが「月」の対になる「太陽or星」という可能性があってもイイと思います。「月と太陽(もしくは星)の物語」って感じで、ロマンチック。
でも七瀬は、『FF8』のストーリーの本質は「全世界の人々が負のエネルギーを撒き散らしていると、月が闇に染まってしまう=これからの時代、世界の多様性を受け入れ合おう」って事だと思っているので・・・その場合は、スコールが「太陽or星」というのはナシかな、と。
だって「宗教・文化の違いとかで喧嘩するのは止めよう!」って声を上げる旗頭・スコールが、「実は太陽の意思を継ぐ者だから、月の為に頑張っていた」ってなると・・・何か方向性がブレてしまう気が。
七瀬としては「人間の行いが月を闇に染め、月をも救う事になる。その旗頭となったのがスコール(あくまでも人間の代表)」の方が、分かりやすくて好きかな。
ただ『シュミ族の長老』がやたら、スコールを特別視してますよね?
それに関しては、スクウェアが「『FF8』はプレイヤーが生み出す幻想物語」⇒「プレイヤー=創造主(神)」⇒「プレイヤーの分身=スコール」⇒「スコール=創造主の意思を継ぐ者(代弁者)」という構図が成立するのかな・・・と思います。要はどこをどう捉えるか、かな?
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【何で『長老のおつき』はラグナ像を「へっぽこ像」と言った?】
イベント全部を見たら、『長老のおつき』がラグナの事を敬愛していたのは一目瞭然。つまり彼が「へっぽこ像」と言ったのは、「ラグナなんてヤツの、出来損ないの像=ラグナ&ラグナ像自体に意味を感じていない」ではなくて、「こんな像ではラグナの魅力は伝えられない=だから「へっぽこ像」」って言ったんじゃないかな?やっぱりラグナは愛されキャラ?
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【『賢者バスカリューン』とオダイン博士の関係】
「ある日のガーデンの授業風景」の、「このあと、賢者バスカリューンの数々の発明や偉業が得意げにつづられていますが、もう『ハイン』は登場しません。 きっと作者も途中で忘れてしまったのでしょうね。」「だって、あなたたち、この本を信じるとすれば賢者バスカリューンは980年も生きたことになるんですよ。 ね? おかしいでしょ?」を、どう捉えるか?
『偉大なるバスカリューンの記』を書いたのは『賢者バスカリューンの子孫を名乗る者』。「数々の発明や偉業が得意げにつづられている」って部分からオダイン博士を連想するけど、
①『賢者バスカリューン』&『賢者バスカリューンの子孫』=ゲームに出て来るオダイン博士本人。
②『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士よりも前の子孫(血筋としては繋がっている)。
③『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士(本人が執筆)。
④全然、関係無い(「身勝手な人間像」としての表現)。
あの大袈裟な服装&口調を考えれば、意外と①も有り得るのかもしれないけど・・・実際のトコ、「貴方の幻想にお任せします」って部分じゃないかな?誰が書いたのかって重要そうで、実は重要でもない気がする。
大事なのは「賢者バスカリューンは980年も生きたことになる」の方。実際の神話とか記紀にも、有り得ないくらい長生きな人物って出てきますよね?日本なら、武内宿禰(約300歳)とか。
そういう部分を取り込んで『ハイン神話』&『偉大なるバスカリューンの記』に、神話らしさ・神話要素を加えたかったって事じゃないかな?分からないけど。
神話らしさって点で言えば、『アトラ・ハシース神話』との共通点も神話らしさ・神話要素って事なのかな?あまり『FF8』本編で洪水伝説を思わせるような部分は思い当たらないけど・・・。
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【セルフィは日本人っぽい?】
セルフィ=セルフィー(英語: Selfie)=自分撮り(最近iPhone 12のCMで知った)。つまり制作陣(日本人)を投影したキャラ(もう少し広く見れば東洋人)。
彼女のトラビア弁(関西弁風)は、その国の訛りに置き換える事は出来るかもしれないけど、正真正銘そのニュアンスまで伝わる・理解出来る資質を持っているのは日本人だけ。
だからセルフィが好きな物は「お寿司」(アンジェロ談)。
流行らせたかった挨拶「まみむめも!」は、国民的アニメ・ライバルキャラのアレ。
日本人に近い感性なので、日本人受けがイイ。
高井氏曰く「セルフィはなんでもアリだったから、ネタを考えるのが楽しかったなぁ(笑)」・・・他のキャラは「〇〇人っぽいキャラで」みたいな縛りでもあったの?
でも「例のパン〇ラ」が日本人向けサービスかと思うと、少し複雑ではある・・・けど、「パン〇ラは日本文化」という意見もあるなら、それはそうかもね。
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【「だったら壁にでも話してろよ」】
・・・まぁ、スコールが「『SeeD=本来は和平交渉人』の資質を持つ者」という前提で創られているのなら。話を聞くだけでは「交渉人」の仕事は成立しないので、自分が出る幕じゃないって思っても仕方ないかなぁ。
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【デリング大統領は何故、生け贄にされた?】
これはそのまま、デリング大統領が、新旧の融合を望む次世代の誘いを無視し、昔からの悪しき思想・言動を、自他国民に強要する主導者だったから・・・かと。
実はデリング大統領の生存ルートは、「『大統領拉致作戦』でリノア達・森のフクロウと合流⇒和解する」だったと思うんですよね。言ってみれば、デリング大統領が載っている車両は「昔からの悪しき思想・言動を推し進め、周囲を見ないで真っ直ぐ破滅へと突き進んでいる状況(ハイテク嫌い=新しい思想・言動を受け入れない象徴)」。
そしてリノア達の車両は途中に割り込み、大統領車両と接続して別ルート(生存ルート)へ脱出。護衛車両とダミー列車はそのまま直進・・・つまり破滅の道へと進みます。そう考えれば『大統領拉致作戦』は、実は『大統領救出作戦』だったんじゃないかな・・・と(爆破しちゃダメだよ)。
あの時、偽物なんか寄越さずに、森のフクロウと和解していればなぁ・・・。彼のその行いは「和議のテーブルにも付かなかった」という事。「全部を否定してるんじゃない。お互いの良い所を活かしあって、一緒に世界を良くしようよ」という、新旧の融合を望む、次世代の誘いを無視したって事です。
偽デリング大統領の正体『ナムタル・ウトク』を、『ナムタル・ウドゥグ(シュメール語)』だとすれば、その意味は『死の運命(諸説あり)+悪霊・魔物の総称』だとか。・・・それって、ここで既に死亡フラグが立ってた、って事じゃないかな?
尚、もっと手前で言えば・・・デリング大統領が個人的にアナログ主義な分には、生け贄にはされなかったと思います。「大統領という立場で、他者に強要するのがダメだった」って事。
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【ドールの『海辺で母親の帰りを待つ少女』=『パブのオーナーの娘』?】
これって確定だったっけ?それとも状況証拠だけ?素直に考えたら、彼の部屋の『汚い本』に出て来る、
「海に落ちた娘を助けようとして
奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・
娘は、死を理解できていないようだ・・・・・・
私だって、ちっとも解らない」
と、海辺で「・・・・・・お母さん」「・・・・・・帰ってこないかな」と、母親の帰りを待つ少女は同一人物=『パブのオーナーの娘』だと思います。素直に考えれば、だけど。
でも「彼女の存在」が、何を意味していたのか分からない。「5年前に自分を助ける為に母親が亡くなった」&「それに気付かず、母親の帰りを待ち続ける娘」と、「5年前に妻(伴侶)を失って、時が止まっている父親」。
彼の時が止まったのが「3年目の夏の終わり(妻が溺れ死んだ)=5年前」だとすると、「2年目の秋(娘が生まれた)=6年前」。じゃあ「1年目(最初に書かれている馴れ初め)は7年前か?」って話ですが、「7年前の1年目は、結婚して1年目」であって、その前に出会ってからプロポーズするまでの「春(風が暖かくなったころ)~冬(初めて雪がつもった夜)という1年間=8年前」があるって事ではないかと。
そう考えると、「妻と出会った『8』年前」っていう数字に意味があるのか?
「『1』年前」っていう『1』は避けるのに、『2』『3』は表記する事に意味があるのか?
・・・『パブのオーナー』の正体も分からないので難しいなぁ。「『1』は書かないのに、『2』『3』は表記する」ってのは、ナンバリングの打ち方のイメージだけど。北米では当初『FF4=FF2』『FF6=FF3』って出してたらしいけど・・・関係あるかな?
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【『ドールのパブのオーナー』の妻は、カードクィーン?】
カードで負けた相手=スコールで2人目・・・って事は、彼自身も相当な強者ですよね?5年前まではレアカードもたくさん持ってたんだから、対戦回数自体が少ないって事も無いはずです。
つまり、あのオーナーをあれだけ負かそうと思ったら、生半可な強さでは話にならない。「あのオーナーに唯一、土を付けられそうな相手(しかも女性)=カードクィーン」という構図が過りますが、「オーナーが唯一負けて、プロポーズし「娘」を儲けた伴侶=カードクィーン」ではないかと。だって本に「奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・」って書いてあるから。
それに「父:パブのオーナー・娘:海辺の少女」を確定とした場合、「妻(母):カードクィーン」が成立しない理由が他にもあります。それは「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」という系譜。こちらは「カードクィーンに負けて特定のレアカードを取られると、そのカードから画家が新しいレアカードを描き、以前のカードは孫に渡る」という明確な流れがあるので、確定とします。
つまり「妻(母):カードクィーン」だと、彼女を軸に二つの家族が繋がる事になります。
そうなると、画家の「お嬢ちゃんのお母さん。早く帰ってくるといいねぇ・・・・・・」という台詞や、孫の「ボクとは遊んでくれないのに 女の子とは遊んでるし! なんでだよ!!」という台詞が不自然です。だって画家からすれば「お嬢ちゃんのお母さん=カードクィーン=自分の娘」だし。孫からすれば「女の子のお母さん=カードクィーン=自分のお母さん(つまり二人は兄妹)」になる筈ですから。
なのに何でこんな面倒な設定「妻=カードクィーンと思わせて、実はカードクィーンではない」を持たせたのか?
う~ん、可能性としては「父:パブのオーナー、娘:海辺の少女」と「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」に、直接的つながりはない。けど「妻(母):カードクィーン」の影をちらつかせる事で、2つの関係を繋ぎたかった・・・とか?
もしくは純粋に、この二人の馴れ初めに何らかの意味を持たせているから・・・かな?
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【レインも『魔女』だった?】
『魔法のハイン』の正体は「月」であり、「月に「貴方の力を貸してください」と願い、実際に月の力を授かった女性」だけが『魔女』、というなら、レインが『魔女』だったかは分かりません。
ただ、名付け親のテムが「女の姿をした『魔法のハイン』。私はこれを魔女と命名する」と断言しただけで、別に「不思議な力の根源が『魔法のハイン(月)』の力とは限らない」なら、レインも『魔女』だったんじゃないかな、と思います。
七瀬が思う『魔女の誕生』は、「大切な人を守りたい」という女性の謙虚な心からの願いに「月」が共感し、「月」の不思議な力の一部を授けたという考え方ですが、でもこれはテムが魔女の力の根源を『魔法のハイン(月)』に限定しているからであって、本来なら「月」でなく「あらゆる自然」が対象で良いと思うんですよね。
で、その前提に、ウィンヒルのサブイベントでのお婆さんの台詞を重ねると・・・、
「レインほど、花の心が分かる人は いませんでしたわ」
つまりレインは「月の魔女」ではなく、「花の魔女」だった。
レインが花・・・つまり薬草関係の知識に長けていた、花たちの力を持っていたからこそ、崖から紐無しバンジーで死にかけた満身創痍のラグナも奇跡の復活を果たせたんじゃないかな?
まぁ、レイン(花・薬草)の力だけで、体中バラバラだった人が後遺症もなくピンピンしてるのも、無理がある気はしますが・・・七瀬的には、そもそもあの閉鎖的な村に死に掛けのラグナが運び込まれたところで、どうやって治療したのかは謎なんですよね。
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【リノア=「月」なら、スコール=「太陽or星」?】
リノアは『Ultimecia』で、『Ultimecia』=月。だから、リノア=「月」・・・という筋書きで行くなら、スコールが「月」の対になる「太陽or星」という可能性があってもイイと思います。「月と太陽(もしくは星)の物語」って感じで、ロマンチック。
でも七瀬は、『FF8』のストーリーの本質は「全世界の人々が負のエネルギーを撒き散らしていると、月が闇に染まってしまう=これからの時代、世界の多様性を受け入れ合おう」って事だと思っているので・・・その場合は、スコールが「太陽or星」というのはナシかな、と。
だって「宗教・文化の違いとかで喧嘩するのは止めよう!」って声を上げる旗頭・スコールが、「実は太陽の意思を継ぐ者だから、月の為に頑張っていた」ってなると・・・何か方向性がブレてしまう気が。
七瀬としては「人間の行いが月を闇に染め、月をも救う事になる。その旗頭となったのがスコール(あくまでも人間の代表)」の方が、分かりやすくて好きかな。
ただ『シュミ族の長老』がやたら、スコールを特別視してますよね?
それに関しては、スクウェアが「『FF8』はプレイヤーが生み出す幻想物語」⇒「プレイヤー=創造主(神)」⇒「プレイヤーの分身=スコール」⇒「スコール=創造主の意思を継ぐ者(代弁者)」という構図が成立するのかな・・・と思います。要はどこをどう捉えるか、かな?
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【何で『長老のおつき』はラグナ像を「へっぽこ像」と言った?】
イベント全部を見たら、『長老のおつき』がラグナの事を敬愛していたのは一目瞭然。つまり彼が「へっぽこ像」と言ったのは、「ラグナなんてヤツの、出来損ないの像=ラグナ&ラグナ像自体に意味を感じていない」ではなくて、「こんな像ではラグナの魅力は伝えられない=だから「へっぽこ像」」って言ったんじゃないかな?やっぱりラグナは愛されキャラ?
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【『賢者バスカリューン』とオダイン博士の関係】
「ある日のガーデンの授業風景」の、「このあと、賢者バスカリューンの数々の発明や偉業が得意げにつづられていますが、もう『ハイン』は登場しません。 きっと作者も途中で忘れてしまったのでしょうね。」「だって、あなたたち、この本を信じるとすれば賢者バスカリューンは980年も生きたことになるんですよ。 ね? おかしいでしょ?」を、どう捉えるか?
『偉大なるバスカリューンの記』を書いたのは『賢者バスカリューンの子孫を名乗る者』。「数々の発明や偉業が得意げにつづられている」って部分からオダイン博士を連想するけど、
①『賢者バスカリューン』&『賢者バスカリューンの子孫』=ゲームに出て来るオダイン博士本人。
②『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士よりも前の子孫(血筋としては繋がっている)。
③『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士(本人が執筆)。
④全然、関係無い(「身勝手な人間像」としての表現)。
あの大袈裟な服装&口調を考えれば、意外と①も有り得るのかもしれないけど・・・実際のトコ、「貴方の幻想にお任せします」って部分じゃないかな?誰が書いたのかって重要そうで、実は重要でもない気がする。
大事なのは「賢者バスカリューンは980年も生きたことになる」の方。実際の神話とか記紀にも、有り得ないくらい長生きな人物って出てきますよね?日本なら、武内宿禰(約300歳)とか。
そういう部分を取り込んで『ハイン神話』&『偉大なるバスカリューンの記』に、神話らしさ・神話要素を加えたかったって事じゃないかな?分からないけど。
神話らしさって点で言えば、『アトラ・ハシース神話』との共通点も神話らしさ・神話要素って事なのかな?あまり『FF8』本編で洪水伝説を思わせるような部分は思い当たらないけど・・・。
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