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FF8:[14] スクウェアが『FF8』に込めた想い?
- 2021/01/25 (Mon) |
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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【【FF8】のコンセプト】
「全世界の【FF8】プレイヤーで創り上げる、全世界共通の【FF∞】」
【プレイヤーへのメッセージ】
「まずは自分自身が正しく理解し、相手に分かってもらおうと努力する事が大事」
「自分が正しい・他は間違いではなく、他者を理解し受け入れる事(多様性)の大切さ」
「かと言って、考え過ぎて動けなくなってもダメ」
【【FF8】に込めた希望】
「全世界を対象にするなら、みんな感じ方が違って当たり前。
だったら逆に考えたらいい。
みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいいと。
そして、どんな感じ方をしてもスクウェアは口を出さない&手を明かさない。
さて・・・将来、どんな【FF8】になってるかな?」
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【全世界の【FF8】プレイヤーで・・・って?】
イメージとしては「古代エジプト文明の謎」とか「イースター島のモアイ像の謎」みたいな感じ。ああいうのって、新事実が判明するとその事実に基ずく新しい説が起き、事実にそぐわなくなった説は廃れたりしますよね。
【FF8】も、実はリアル世界の事実と関係しあっている。つまり『【FF8】のゲーム内だけの情報じゃなく、リアル世界で新たな事実が判明したり、全世界の【FF8】プレイヤーが意見を寄せあう=文化・習慣が融合する事で、新しい考察が生まれたり消えたり・・・っていう「全世界の【FF8】プレイヤーで創り上げる、全世界共通の【FF∞】」みたいなイメージを目指したんじゃないかなって事。
【なんで、全世界が対象?】
【FF8】と言えば「『ファイナルファンタジーⅦ』が初のPS版作品として商業的成功をおさめたことを受け、本作品は予算が前作から倍以上になり、ハリウッドとの連携やスタッフ200人体制などが採られた(ウィキペディア引用)」作品です。
そしてココからは推測になりますが、「FFVIIIはあまりゲームをしない人にも興味を持って欲しいと思ったんで、リアルな画風にしました。リアルであるほうがゲームをあまりしない人も手にしやすいと思ったんです(ウィキペディアから引用した、野村氏の発言)」という言葉や、「前作の3~4頭身のキャラクターは日本では受け入れられましたけど、ヨーロッパやアメリカの人々から見るとかなり奇異なものだったらしくて。全世界を対象に考えた場合、今回はやっぱり頭身を上げようということになって(アルティマニア抜粋)」という、メインプログラマー・成田 賢氏のコメント。そして実際に出来上がった「従来の【FF】とは違う印象が強い【FF8】」を見ても、「【FF8】は結果として世界でも売れるではなく、初めから世界で売れる【FF8】を模索していた」「従来の『FFファン』だけではなく、より多くの層。その中でも特に全世界を対象にしたゲームを創ろうという意識が強かったんじゃないか」と思う訳です。グローバル社会とか・・・時流でもあったかな。
そういう理由から「【FF8】は全世界の人々を対象に創られた」と、七瀬は思っています。
【みんな感じ方が違って当たり前?】
「【FF8】は全世界の人々を対象に創られた」と仮定すると・・・どうしても国民性とか宗教観、その他諸々の違いがあるじゃないですか?
「国民性って一括りにされるのはイヤだな」とか「自分は日本人っぽくないけどなぁ」って意見もあるかと思いますが・・・そんなの当たり前って思う「日本人の常識」や、無意識のうちに根付いている「日本人の心」みたいなのは、やっぱりあると思うんですよね。確かに日本人の宗教観って緩いかもしれないけど、「日本には色々な物に神様が宿っている」「大切にしてる物には魂が宿る」「悪い事を言うと自分に返ってくる」みたいな「おばあちゃんの教え」が心に染み付いてるイメージ・・・っていうか。
つまり「日本人の心でしか理解できないJ・RPGでは、世界の人々の心に同じ感動(共感)を伝える事は難しい」「国民性・宗教観・生活・文化・・・全然違うんだから、同じ【FF8】をプレイしても感じ方が違ってくるのは当たり前」と言う意味で「みんな感じ方が違って当たり前」という表現を使っています。スクウェアをディスってる訳ではありません。
【だったら逆に考えたらいい】
本来なら「みんなの感じ方が違う」って、制作側にとっては問題だと思うんですよね。同じ【FF8】をプレイしても、含みを持たせた部分の意味が汲み取ってもらえない&共感してもらえない部分が出て来るかもしれないって事だから。
例えば【FF】って自己犠牲の死が結構出てきますけど・・・あれって世界的にはどうなのかな?勿論一概には言えないけど、「散り際に美を見出せる感性」を持つ日本人は感動しても、「諦めるな!最後まで足掻け!!」って国民性とか、「自己犠牲とはいえ・・・死を選ぶのには抵抗がある」って宗教観の強い国の人たちは、日本人と同じようには感じられない(共感出来ない)んじゃないかと思うんですよね(「自己犠牲の死」が良い悪いじゃなくて、感性の話)。そうだとしたらそのキャラの死は意味をなさなくなる訳で・・・そりゃ、シドもガーデンと心中なんて考えもしないよね。
だからその「みんなの感じ方が違う」って問題点を、逆に考えればいいと思ったんじゃないかな?アルティマニアのシークレット「112」最後の秘密と同じように。
【みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいい】
そんな本来なら制作側にとって問題となるだろう「みんなの感じ方の違い」ですが、逆にこう考えてみたらどうでしょうか?「みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいい」=「同じ『FF8』をプレイしても、プレイヤーの感じ方で【FF8】が異なる印象・解釈になるのなら、その人にとっての【FF8】はそれが正しい。」「でも、その人の【FF8】だけでは、プレイヤーの数だけある【FF8】の一つに過ぎない。世界中のプレイヤーが自分の思い描く【FF8】を持ち寄った時にこそ、自分だけでは気付けなかった新たな【FF8】が生まれる。」
つまりスクウェアは【FF8】本編だけでなく、【FF8】という存在そのものに、
「まずは自分自身が正しく理解し、相手に分かってもらおうと努力する事が大事」
「自分が正しい・他は間違いではなく、他者を理解し受け入れる事(多様性)の大切さ」
「かと言って、考え過ぎて動けなくなってもダメ」
と、いうようなメッセージを持たせたんじゃないかと思うんです。グローバル化が進む時代に生きるプレイヤー達への、親心みたいな感じだったのかなぁ・・・?
【どんな感じ方をしてもスクウェアは口を出さない&手を明かさない】
【FF8】って、古今東西過去現在未来のファンタージ要素がごちゃ混ぜになってますよね?それってスクウェアがわざと撒いた幻想の種だと思うんです。「日本人には分かるネタ」とか、「◎◎学に詳しい人には常識なネタ」とか散りばめられてて・・・その分野に詳しい人は「これって・・・こうに違いない!」って自分の【FF8】を描く訳です。で、分からない人には違和感=謎になるので「このイベントの意味は何だろう・・・?」って自分の【FF8】を描く訳です。
そうすると当然、プレイヤーによって色々な解釈が出てきますよね?でもそれに関して「プレイヤーがどんな感じ方をしても、スクウェアは口を出さない&手を明かさない」という事です。どうしてかと言うと「Aを認めるという事は、反するBを否定する事になるから」です。そうなった場合、先程仮定したメッセージに自ら反してしまいます。AとBが話し合って決めるならいいけど、スクウェアは立場上、中立でないといけない訳です。
そう考えると今後も、幻想の種を投下する事は有っても、スクエニが特定の説を支持したり否定したりする事は無いんじゃないかなぁ・・・と、思ったり。
【さて・・・将来、どんな【FF8】になってるかな?】
ここまでひたすら七瀬の幻想物語な訳ですが。もしも本当に上記のようなメッセージを込めているのなら「プレイヤー達、自らがその事実に気付く事」に意義があると思うんですよね。
だって「実は【FF8】は、世界各国色々な要素がごちゃ混ぜになっているので、自分だけでプレイしてもそれは【FF8】の一面にすぎません。自分では解釈に悩むところは、自分に無い分野が得意な人・外国人の知り合いに聞いて下さい」って訳にはいかないでしょ?「真相を知る為に他者と意見交換するんじゃなくて、他者との交流の中で真相に気付く」という事が大事なんだから(多分)。
・・・とは言っても、この頃ってまだネット環境が当たり前って時代でも無かったし、クールジャパンって言葉が使われるよりも昔だから、なかなか異文化交流って難しかったと思うんですよね。
だからこそ、スクウェアは未来に希望を託したんじゃないかな?10年20年後・・・つまり当に今ですが、インターネットが普及して、皆が様々な情報を共有出来て、日本のゲームが世界で認められて、世界中の人々が同じゲームの話題をリアルタイムで出来るようになった時、
「そう言えば『FF8』ってあったけど・・・意味分かんなかったな。
結局〇〇の事だって有耶無耶だったし。」
「え?あれってXXの事でしょ?」
「うそ?!何で?」
「え~、◎◎学かじってたら常識だと思うけど。」
「でも、俺の国では△△って説が有力だったよ?」
「へ~、そんな解釈もあったんだ・・・って事は!」
みたいに、【FF8】をプレイしてくれた『世界の人々』が交流する事で「その人たちが思い描く【FF8】(多様性の融合)」が生まれる事を。
そしてその「その人たちが思い描く【FF8】」は、科学の進歩や時代背景は勿論、どういうメンバーが集まるかや、同じメンバーでも月日が経ったり経験が増せば感じ方が変わる⇒新しい【FF8】の解釈が消えては生まれる。つまりプレイヤー達が幻想を続ける限り、【FF8】は未来永劫グルグルと巡り続ける幻想物語『Final Fantasy ∞』になる訳です。
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というのが七瀬が考える「スクウェアが【FF8】に込めた想い?」ですが・・・どうだったでしょうか?
偉そうに書きましたが、これは七瀬が「【FF8】という幻想に、自分の都合が良い幻想を重ねて見ているだけの幻想物語」=【FF8】に関して調べる中で感じた事に、自分の「だったらイイなぁ」「そう考えたら筋が通らない?」を重ねただけの幻想物語です。情報ソースには気を付けていますが「だと思うんですよね」は、本当に「思ってる」だけです、信憑性はありません。
七瀬が好き勝手書いてるだけなんで、当然他の意見もあると思います。勿論、それに関して七瀬は否定しません。だってそれが「スクウェアが【FF8】に込めた想い」だと思ってますから。
七瀬も【FF∞】が、どんな物語になっていくのか?どのような説が出て来るのか?残りの人生、楽しみにしたいと思います。
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【【FF8】のコンセプト】
「全世界の【FF8】プレイヤーで創り上げる、全世界共通の【FF∞】」
【プレイヤーへのメッセージ】
「まずは自分自身が正しく理解し、相手に分かってもらおうと努力する事が大事」
「自分が正しい・他は間違いではなく、他者を理解し受け入れる事(多様性)の大切さ」
「かと言って、考え過ぎて動けなくなってもダメ」
【【FF8】に込めた希望】
「全世界を対象にするなら、みんな感じ方が違って当たり前。
だったら逆に考えたらいい。
みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいいと。
そして、どんな感じ方をしてもスクウェアは口を出さない&手を明かさない。
さて・・・将来、どんな【FF8】になってるかな?」
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【全世界の【FF8】プレイヤーで・・・って?】
イメージとしては「古代エジプト文明の謎」とか「イースター島のモアイ像の謎」みたいな感じ。ああいうのって、新事実が判明するとその事実に基ずく新しい説が起き、事実にそぐわなくなった説は廃れたりしますよね。
【FF8】も、実はリアル世界の事実と関係しあっている。つまり『【FF8】のゲーム内だけの情報じゃなく、リアル世界で新たな事実が判明したり、全世界の【FF8】プレイヤーが意見を寄せあう=文化・習慣が融合する事で、新しい考察が生まれたり消えたり・・・っていう「全世界の【FF8】プレイヤーで創り上げる、全世界共通の【FF∞】」みたいなイメージを目指したんじゃないかなって事。
【なんで、全世界が対象?】
【FF8】と言えば「『ファイナルファンタジーⅦ』が初のPS版作品として商業的成功をおさめたことを受け、本作品は予算が前作から倍以上になり、ハリウッドとの連携やスタッフ200人体制などが採られた(ウィキペディア引用)」作品です。
そしてココからは推測になりますが、「FFVIIIはあまりゲームをしない人にも興味を持って欲しいと思ったんで、リアルな画風にしました。リアルであるほうがゲームをあまりしない人も手にしやすいと思ったんです(ウィキペディアから引用した、野村氏の発言)」という言葉や、「前作の3~4頭身のキャラクターは日本では受け入れられましたけど、ヨーロッパやアメリカの人々から見るとかなり奇異なものだったらしくて。全世界を対象に考えた場合、今回はやっぱり頭身を上げようということになって(アルティマニア抜粋)」という、メインプログラマー・成田 賢氏のコメント。そして実際に出来上がった「従来の【FF】とは違う印象が強い【FF8】」を見ても、「【FF8】は結果として世界でも売れるではなく、初めから世界で売れる【FF8】を模索していた」「従来の『FFファン』だけではなく、より多くの層。その中でも特に全世界を対象にしたゲームを創ろうという意識が強かったんじゃないか」と思う訳です。グローバル社会とか・・・時流でもあったかな。
そういう理由から「【FF8】は全世界の人々を対象に創られた」と、七瀬は思っています。
【みんな感じ方が違って当たり前?】
「【FF8】は全世界の人々を対象に創られた」と仮定すると・・・どうしても国民性とか宗教観、その他諸々の違いがあるじゃないですか?
「国民性って一括りにされるのはイヤだな」とか「自分は日本人っぽくないけどなぁ」って意見もあるかと思いますが・・・そんなの当たり前って思う「日本人の常識」や、無意識のうちに根付いている「日本人の心」みたいなのは、やっぱりあると思うんですよね。確かに日本人の宗教観って緩いかもしれないけど、「日本には色々な物に神様が宿っている」「大切にしてる物には魂が宿る」「悪い事を言うと自分に返ってくる」みたいな「おばあちゃんの教え」が心に染み付いてるイメージ・・・っていうか。
つまり「日本人の心でしか理解できないJ・RPGでは、世界の人々の心に同じ感動(共感)を伝える事は難しい」「国民性・宗教観・生活・文化・・・全然違うんだから、同じ【FF8】をプレイしても感じ方が違ってくるのは当たり前」と言う意味で「みんな感じ方が違って当たり前」という表現を使っています。スクウェアをディスってる訳ではありません。
【だったら逆に考えたらいい】
本来なら「みんなの感じ方が違う」って、制作側にとっては問題だと思うんですよね。同じ【FF8】をプレイしても、含みを持たせた部分の意味が汲み取ってもらえない&共感してもらえない部分が出て来るかもしれないって事だから。
例えば【FF】って自己犠牲の死が結構出てきますけど・・・あれって世界的にはどうなのかな?勿論一概には言えないけど、「散り際に美を見出せる感性」を持つ日本人は感動しても、「諦めるな!最後まで足掻け!!」って国民性とか、「自己犠牲とはいえ・・・死を選ぶのには抵抗がある」って宗教観の強い国の人たちは、日本人と同じようには感じられない(共感出来ない)んじゃないかと思うんですよね(「自己犠牲の死」が良い悪いじゃなくて、感性の話)。そうだとしたらそのキャラの死は意味をなさなくなる訳で・・・そりゃ、シドもガーデンと心中なんて考えもしないよね。
だからその「みんなの感じ方が違う」って問題点を、逆に考えればいいと思ったんじゃないかな?アルティマニアのシークレット「112」最後の秘密と同じように。
【みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいい】
そんな本来なら制作側にとって問題となるだろう「みんなの感じ方の違い」ですが、逆にこう考えてみたらどうでしょうか?「みんなの感じ方が違う事に、意味を持たせればいい」=「同じ『FF8』をプレイしても、プレイヤーの感じ方で【FF8】が異なる印象・解釈になるのなら、その人にとっての【FF8】はそれが正しい。」「でも、その人の【FF8】だけでは、プレイヤーの数だけある【FF8】の一つに過ぎない。世界中のプレイヤーが自分の思い描く【FF8】を持ち寄った時にこそ、自分だけでは気付けなかった新たな【FF8】が生まれる。」
つまりスクウェアは【FF8】本編だけでなく、【FF8】という存在そのものに、
「まずは自分自身が正しく理解し、相手に分かってもらおうと努力する事が大事」
「自分が正しい・他は間違いではなく、他者を理解し受け入れる事(多様性)の大切さ」
「かと言って、考え過ぎて動けなくなってもダメ」
と、いうようなメッセージを持たせたんじゃないかと思うんです。グローバル化が進む時代に生きるプレイヤー達への、親心みたいな感じだったのかなぁ・・・?
【どんな感じ方をしてもスクウェアは口を出さない&手を明かさない】
【FF8】って、古今東西過去現在未来のファンタージ要素がごちゃ混ぜになってますよね?それってスクウェアがわざと撒いた幻想の種だと思うんです。「日本人には分かるネタ」とか、「◎◎学に詳しい人には常識なネタ」とか散りばめられてて・・・その分野に詳しい人は「これって・・・こうに違いない!」って自分の【FF8】を描く訳です。で、分からない人には違和感=謎になるので「このイベントの意味は何だろう・・・?」って自分の【FF8】を描く訳です。
そうすると当然、プレイヤーによって色々な解釈が出てきますよね?でもそれに関して「プレイヤーがどんな感じ方をしても、スクウェアは口を出さない&手を明かさない」という事です。どうしてかと言うと「Aを認めるという事は、反するBを否定する事になるから」です。そうなった場合、先程仮定したメッセージに自ら反してしまいます。AとBが話し合って決めるならいいけど、スクウェアは立場上、中立でないといけない訳です。
そう考えると今後も、幻想の種を投下する事は有っても、スクエニが特定の説を支持したり否定したりする事は無いんじゃないかなぁ・・・と、思ったり。
【さて・・・将来、どんな【FF8】になってるかな?】
ここまでひたすら七瀬の幻想物語な訳ですが。もしも本当に上記のようなメッセージを込めているのなら「プレイヤー達、自らがその事実に気付く事」に意義があると思うんですよね。
だって「実は【FF8】は、世界各国色々な要素がごちゃ混ぜになっているので、自分だけでプレイしてもそれは【FF8】の一面にすぎません。自分では解釈に悩むところは、自分に無い分野が得意な人・外国人の知り合いに聞いて下さい」って訳にはいかないでしょ?「真相を知る為に他者と意見交換するんじゃなくて、他者との交流の中で真相に気付く」という事が大事なんだから(多分)。
・・・とは言っても、この頃ってまだネット環境が当たり前って時代でも無かったし、クールジャパンって言葉が使われるよりも昔だから、なかなか異文化交流って難しかったと思うんですよね。
だからこそ、スクウェアは未来に希望を託したんじゃないかな?10年20年後・・・つまり当に今ですが、インターネットが普及して、皆が様々な情報を共有出来て、日本のゲームが世界で認められて、世界中の人々が同じゲームの話題をリアルタイムで出来るようになった時、
「そう言えば『FF8』ってあったけど・・・意味分かんなかったな。
結局〇〇の事だって有耶無耶だったし。」
「え?あれってXXの事でしょ?」
「うそ?!何で?」
「え~、◎◎学かじってたら常識だと思うけど。」
「でも、俺の国では△△って説が有力だったよ?」
「へ~、そんな解釈もあったんだ・・・って事は!」
みたいに、【FF8】をプレイしてくれた『世界の人々』が交流する事で「その人たちが思い描く【FF8】(多様性の融合)」が生まれる事を。
そしてその「その人たちが思い描く【FF8】」は、科学の進歩や時代背景は勿論、どういうメンバーが集まるかや、同じメンバーでも月日が経ったり経験が増せば感じ方が変わる⇒新しい【FF8】の解釈が消えては生まれる。つまりプレイヤー達が幻想を続ける限り、【FF8】は未来永劫グルグルと巡り続ける幻想物語『Final Fantasy ∞』になる訳です。
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というのが七瀬が考える「スクウェアが【FF8】に込めた想い?」ですが・・・どうだったでしょうか?
偉そうに書きましたが、これは七瀬が「【FF8】という幻想に、自分の都合が良い幻想を重ねて見ているだけの幻想物語」=【FF8】に関して調べる中で感じた事に、自分の「だったらイイなぁ」「そう考えたら筋が通らない?」を重ねただけの幻想物語です。情報ソースには気を付けていますが「だと思うんですよね」は、本当に「思ってる」だけです、信憑性はありません。
七瀬が好き勝手書いてるだけなんで、当然他の意見もあると思います。勿論、それに関して七瀬は否定しません。だってそれが「スクウェアが【FF8】に込めた想い」だと思ってますから。
七瀬も【FF∞】が、どんな物語になっていくのか?どのような説が出て来るのか?残りの人生、楽しみにしたいと思います。
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