落書き帳の10ページ目
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カテゴリー「ゲーム語り」の記事一覧
- 2021.02.16 [35] ハード性能の向上による視覚化
- 2021.02.16 [34] 『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い
- 2021.02.15 FF8:[33] 【FF8】は、難産の末に生まれた?
- 2021.02.14 FF8:[32] 『アルティミシアの時代』って、いつなの?
- 2021.02.13 FF8:覚え書き いろいろ ①
[35] ハード性能の向上による視覚化
- 2021/02/16 (Tue) |
- ゲーム語り |
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- ▲Top
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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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ハード性能向上の恩恵の一つが「演出面の強化」だと思うんですが・・・実はこの「演出面の強化」って【FF8】の場合は、イイ事ばっかりじゃないのかなって思うんです。
どういう事かと言うと、何でもかんでも視覚化されてしまうと幻想の余地がないからです。変な例えかもしれませんが・・・SFC・FC時代のドット絵って、ほどよくモザイクが掛かった状態だったんじゃないかな、と。
例えば、EDで墓前報告・・・よくありますよね?【FF8】でもラグナがレインの墓前を訪れていました。
一昔前のSFC・FC時代のドット絵なら、灰色の四角い物体の前or十字架の前にキャラを立たせておけば、「あぁ、今こんな風に報告してるんだろうな」と、プレイヤーが勝手に想像してくれていました。この「勝手に」というのが大事で、プレイヤーが自分でも無意識の内に想像している「勝手な想像」は、間違いなくプレイヤー自身が「共感できる幻想」な訳です。だって自分自身が生み出した幻想なんだから。どの程度の「勝手な想像」が出来るかは個人差があるにせよ・・・自分自身の「勝手な想像」に対して「そんなのオカシイ!」と批判する人はあまり居ないでしょう。
それに対して演出面が強化された【FF8】では、「墓石はどんなタイプにする?」「表記は英語でイイの?」「合掌・・・はオカシイか。でも手を組む(キリスト教)もなぁ・・・。」など、色々な情報を逐一視覚的に提示する必要が出てくる訳です。
墓前報告に限ってしまうと大したことないように感じるかもしれませんが・・・これを全編通して世界中の人々の感性(習慣・宗教的タブーなど)に気を配りながら作らないといけない訳です。
確かに美麗なCGとかムービーとか、明確に伝えたいビジョンがある場合には「世界中の人々に同じイメージを植え付けられる」という意味でも有効だろうけど。曖昧にぼかしておきたい(=プレイヤーの幻想に任せておきたい)部分まで、全部一律に情報提供しなきゃならないってのは「世界中の人々」が対象の『【FF8】としては大変だろうな・・・と、思う訳です。
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ここからは横に逸れますが、ついでに書いておくと・・・【FF8】に限って言えば、幻想の余地がなくなると「秘密・隠し事がしにくい」のも困るんじゃないかな?
七瀬は【FF8】はプレイヤーに対して秘密・隠し事をしている(しかも答え合わせをしていない)と思っています。つまり作中に色々な幻想の種という謎を曖昧な形を取る事で誤魔化しつつ散りばめているんじゃないか、と。
例えば、スコールがエルオーネに頼んでリノアの過去に飛ばしてもらうイベント。ゆっくり振り返るアルティミシアに被せて『誰だ!? 出て行け!』という台詞が表示されますが・・・この台詞、誰の台詞だと思いますか?
普通に考えれば「スコール」の台詞です、多分。
でも、こういう風に考えることもできます。
その場に居ない時間さえも超えて存在するスコールの『誰だ!? 出て行け!』という台詞が、アルティミシアには聞こえていた。だからゆっくりと振り返り「こちら=スコール(プレイヤー)」の方を見て『誰だ!? 出て行け!』と言い放ち、スコールをリノアの過去から弾き出した。
真相がどうかは、七瀬には分かりません。それは受け取り手、次第だと思います。
でも事実として、一つの場面(=幻想の種)から色々な幻想が派生するようになっている。プレイヤーの感じ方次第で幻想物語が広がるようになっている。【FF8】の本質的な創りは、そういうトコにある気が七瀬はします。
もしそうだとすると・・・【FF8】は【FF7】みたいなリメイクは、しないんじゃないかと思います。だってフルボイスにしたら、さっきの『誰だ!? 出て行け!』みたいな幻想の種が全部吹っ飛んじゃうので。
【FF8】が【FF8】である為には、余計な事は一切出来ないんじゃないかな?
当時以上に低スペックになっても再現できないし、高スペックになったからと言って今の【FF8】以上の物にはならない。当時の技術のギリギリを責めたのが【FF8】・・・って事じゃないでしょうか。
*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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ハード性能向上の恩恵の一つが「演出面の強化」だと思うんですが・・・実はこの「演出面の強化」って【FF8】の場合は、イイ事ばっかりじゃないのかなって思うんです。
どういう事かと言うと、何でもかんでも視覚化されてしまうと幻想の余地がないからです。変な例えかもしれませんが・・・SFC・FC時代のドット絵って、ほどよくモザイクが掛かった状態だったんじゃないかな、と。
例えば、EDで墓前報告・・・よくありますよね?【FF8】でもラグナがレインの墓前を訪れていました。
一昔前のSFC・FC時代のドット絵なら、灰色の四角い物体の前or十字架の前にキャラを立たせておけば、「あぁ、今こんな風に報告してるんだろうな」と、プレイヤーが勝手に想像してくれていました。この「勝手に」というのが大事で、プレイヤーが自分でも無意識の内に想像している「勝手な想像」は、間違いなくプレイヤー自身が「共感できる幻想」な訳です。だって自分自身が生み出した幻想なんだから。どの程度の「勝手な想像」が出来るかは個人差があるにせよ・・・自分自身の「勝手な想像」に対して「そんなのオカシイ!」と批判する人はあまり居ないでしょう。
それに対して演出面が強化された【FF8】では、「墓石はどんなタイプにする?」「表記は英語でイイの?」「合掌・・・はオカシイか。でも手を組む(キリスト教)もなぁ・・・。」など、色々な情報を逐一視覚的に提示する必要が出てくる訳です。
墓前報告に限ってしまうと大したことないように感じるかもしれませんが・・・これを全編通して世界中の人々の感性(習慣・宗教的タブーなど)に気を配りながら作らないといけない訳です。
確かに美麗なCGとかムービーとか、明確に伝えたいビジョンがある場合には「世界中の人々に同じイメージを植え付けられる」という意味でも有効だろうけど。曖昧にぼかしておきたい(=プレイヤーの幻想に任せておきたい)部分まで、全部一律に情報提供しなきゃならないってのは「世界中の人々」が対象の『【FF8】としては大変だろうな・・・と、思う訳です。
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ここからは横に逸れますが、ついでに書いておくと・・・【FF8】に限って言えば、幻想の余地がなくなると「秘密・隠し事がしにくい」のも困るんじゃないかな?
七瀬は【FF8】はプレイヤーに対して秘密・隠し事をしている(しかも答え合わせをしていない)と思っています。つまり作中に色々な幻想の種という謎を曖昧な形を取る事で誤魔化しつつ散りばめているんじゃないか、と。
例えば、スコールがエルオーネに頼んでリノアの過去に飛ばしてもらうイベント。ゆっくり振り返るアルティミシアに被せて『誰だ!? 出て行け!』という台詞が表示されますが・・・この台詞、誰の台詞だと思いますか?
普通に考えれば「スコール」の台詞です、多分。
でも、こういう風に考えることもできます。
その場に居ない時間さえも超えて存在するスコールの『誰だ!? 出て行け!』という台詞が、アルティミシアには聞こえていた。だからゆっくりと振り返り「こちら=スコール(プレイヤー)」の方を見て『誰だ!? 出て行け!』と言い放ち、スコールをリノアの過去から弾き出した。
真相がどうかは、七瀬には分かりません。それは受け取り手、次第だと思います。
でも事実として、一つの場面(=幻想の種)から色々な幻想が派生するようになっている。プレイヤーの感じ方次第で幻想物語が広がるようになっている。【FF8】の本質的な創りは、そういうトコにある気が七瀬はします。
もしそうだとすると・・・【FF8】は【FF7】みたいなリメイクは、しないんじゃないかと思います。だってフルボイスにしたら、さっきの『誰だ!? 出て行け!』みたいな幻想の種が全部吹っ飛んじゃうので。
【FF8】が【FF8】である為には、余計な事は一切出来ないんじゃないかな?
当時以上に低スペックになっても再現できないし、高スペックになったからと言って今の【FF8】以上の物にはならない。当時の技術のギリギリを責めたのが【FF8】・・・って事じゃないでしょうか。
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[34] 『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い
- 2021/02/16 (Tue) |
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これは以前、他の記事にも書きましたが。人種差別的な事を言ってるのではなくて純粋に、育ってきた宗教・文化・習慣・生活・教育その他諸々違う世界中の人々が、同じ感覚で【FF8】というゲームを感じる事が出来るのか?って話です。
例えば、幼少期にどんな遊びをしどんな童謡を歌って育ってきたか「共感出来ない」ブラジル人(高校生)にも「共感してもらえる」ゲームを、日本人(30代スタッフ)が考えなきゃならないって事ですよね?それってよく考えたら「そりゃプロだから、何とかするだろ?」で済む話でしょうか?
そりゃ、事前調査すれば知識としては分かるかもしれませんが・・・やっぱり世界中の人々と「同じ感覚を持つ」事は無理だと思うんですよね。「俺は根っからの日本人であり、アメリカ人であり、イタリア人であり、ブラジル人でもある!」・・・って。そこまで行くと逆に自分自身が「・・・俺は、何野郎だんだ?」って、自己が保てなくなるよ。
そういうレベルの事を書くと「そこまで大袈裟かなぁ・・・?」って思われるかもしれませんが。ゲームの中でも特にRPGって幻想を見せるジャンルだと思うんですよね。
極端な話。面白いストーリーがあればそれに越した事は無いけど、ストーリーがそこそこ程度でも、メイン部分が面白ければ楽しめるジャンルもありますよね?パズルゲームとか、アクションゲームとか。
例えば・・・格ゲーなんかが分かりやすいかな?格ゲーに「キャラ要素・ストーリー」を付加させる事で、SNKはカプコンとは違うファン層(=女性層)を獲得しました。じゃあ、そういう女性層が本当に格闘ゲームをやり込んでいたか言うと必ずしもそうでは無く、「キャラが好きだから」と割り切ってる人も多かったように思います。
でも、そこまで「女性層に魅力的」と思われた「キャラ要素・ストーリー」が、従来の格ゲー好きにとっても大事だったかと言うと・・・多分、彼らにとっては然程重要な要素では無かったんじゃないかと思います。まぁ「キャラ関係無しで強キャラ3人で組む=強ければイイ」ってのも極端な一部の人だけだと思うけど、好きなキャラだからと言って「草薙 京の血液型はB型(RH-)で、炎使いなのに得意スポーツはアイスホッケー」ってな事までリサーチしてゲーセンで対戦してる人って、どれくらい居ただろって話。
何が言いたいかと言うと・・・確かに「キャラ要素・ストーリー=付加価値」ってジャンルも存在するかもしれないけど、RPGって「キャラ要素・ストーリー=生命線」だと思うんです。ヒロインの性格だけでボロカスに言われるくらいだし。だから「【FF8】の世界に共感してもらえるか」ってのは、どんだけ気を配っても配り過ぎって事が無いくらいに大事にしてた部分じゃないかなって・・・まぁ、想像ですが。
因みにヒロインの事を書くと「寧ろ、リノアなんか全然共感出来ない!」って方も居られるかもしれませんが・・・それは少し待ってください。
確かに「リノア」自身には「共感できない」かもしれませんが。もしも制作陣が「わざとそう思われるようにリノアというキャラを作っていた」としたらどうでしょうか?
七瀬はそれなら「プレイヤーに、制作陣と同じイメージを持たせることに成功した」という事になるので、それはやっぱり「共感できている」んだと思うのですが・・・どう?
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これは以前、他の記事にも書きましたが。人種差別的な事を言ってるのではなくて純粋に、育ってきた宗教・文化・習慣・生活・教育その他諸々違う世界中の人々が、同じ感覚で【FF8】というゲームを感じる事が出来るのか?って話です。
例えば、幼少期にどんな遊びをしどんな童謡を歌って育ってきたか「共感出来ない」ブラジル人(高校生)にも「共感してもらえる」ゲームを、日本人(30代スタッフ)が考えなきゃならないって事ですよね?それってよく考えたら「そりゃプロだから、何とかするだろ?」で済む話でしょうか?
そりゃ、事前調査すれば知識としては分かるかもしれませんが・・・やっぱり世界中の人々と「同じ感覚を持つ」事は無理だと思うんですよね。「俺は根っからの日本人であり、アメリカ人であり、イタリア人であり、ブラジル人でもある!」・・・って。そこまで行くと逆に自分自身が「・・・俺は、何野郎だんだ?」って、自己が保てなくなるよ。
そういうレベルの事を書くと「そこまで大袈裟かなぁ・・・?」って思われるかもしれませんが。ゲームの中でも特にRPGって幻想を見せるジャンルだと思うんですよね。
極端な話。面白いストーリーがあればそれに越した事は無いけど、ストーリーがそこそこ程度でも、メイン部分が面白ければ楽しめるジャンルもありますよね?パズルゲームとか、アクションゲームとか。
例えば・・・格ゲーなんかが分かりやすいかな?格ゲーに「キャラ要素・ストーリー」を付加させる事で、SNKはカプコンとは違うファン層(=女性層)を獲得しました。じゃあ、そういう女性層が本当に格闘ゲームをやり込んでいたか言うと必ずしもそうでは無く、「キャラが好きだから」と割り切ってる人も多かったように思います。
でも、そこまで「女性層に魅力的」と思われた「キャラ要素・ストーリー」が、従来の格ゲー好きにとっても大事だったかと言うと・・・多分、彼らにとっては然程重要な要素では無かったんじゃないかと思います。まぁ「キャラ関係無しで強キャラ3人で組む=強ければイイ」ってのも極端な一部の人だけだと思うけど、好きなキャラだからと言って「草薙 京の血液型はB型(RH-)で、炎使いなのに得意スポーツはアイスホッケー」ってな事までリサーチしてゲーセンで対戦してる人って、どれくらい居ただろって話。
何が言いたいかと言うと・・・確かに「キャラ要素・ストーリー=付加価値」ってジャンルも存在するかもしれないけど、RPGって「キャラ要素・ストーリー=生命線」だと思うんです。ヒロインの性格だけでボロカスに言われるくらいだし。だから「【FF8】の世界に共感してもらえるか」ってのは、どんだけ気を配っても配り過ぎって事が無いくらいに大事にしてた部分じゃないかなって・・・まぁ、想像ですが。
因みにヒロインの事を書くと「寧ろ、リノアなんか全然共感出来ない!」って方も居られるかもしれませんが・・・それは少し待ってください。
確かに「リノア」自身には「共感できない」かもしれませんが。もしも制作陣が「わざとそう思われるようにリノアというキャラを作っていた」としたらどうでしょうか?
七瀬はそれなら「プレイヤーに、制作陣と同じイメージを持たせることに成功した」という事になるので、それはやっぱり「共感できている」んだと思うのですが・・・どう?
FF8:[33] 【FF8】は、難産の末に生まれた?
- 2021/02/15 (Mon) |
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【七瀬の幻想による筋書き】
①難産の末に生まれた『主人公・スコール』=【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだった。
②「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
③スクウェアは「今まで支えてくれたファン」が「その人の【FF8】という幻想物語」を描いてくれると信じたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。
④【FF8】を世に送り出して、スクウェアは死ぬ。死んでしまうかもしれない。レインのお産と重ねていたとすれば、それ位の覚悟を持っての【FF8】だった。
気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。
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ゲーム中で「難産の末に生まれたのは主人公・スコール」ですが。実はそれは【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだったという事を示してたんじゃないかな?
大前提の【スクウェアが【FF8】に込めた想い?】にも書きましたが。七瀬は、【FF8】は「全世界の人々」対象に創られている&スクウェアは【FF8】というゲームで「多様性を受け入れる事の大切さ」を伝えたかったんじゃないかと思っているのですが・・・このメッセージを一番痛感していたのは、他ならぬスクウェアだったんじゃないかと思うんです。
【『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い】
【ハード性能の向上による視覚化】
【「プレイヤーの資質」の差】
長くなるので別記事にまとめましたが・・・こういう事情を考えたら、七瀬的には【FF】らしくない【FF8】が誕生しても、理屈としては通る気がします。・・・気持ちとしては複雑ですが。
「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
多分、スクウェア内部でも意見が分かれたんじゃないかと思います。
「今までの【FF】が評価されてここまで来たんだから、
今までの【FF】で世界に挑むべきだ!」
「いくら良い商品でも、手に取ってもらえなければ意味がない。
プレイしてもらわなければ、その良さは伝わらない。
今はとにかく「世界に受け入れられる事」が優先だ。」
「それでは、今までの日本のファンはどうなるんですか?
世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てるんですか?!」
まぁ・・・全部、七瀬の勝手な想像ですけどね。関係者の間で、そういう厳しいやり取りがあったんじゃないかなぁと。
勿論、「世界基準の【FF】」と「今までの【FF】」。どちらを誰が支持したのかは分かりません。誰が、どの部署が、どの会社が言い出したのかも分かりません。
でも金儲け的な意味だけではなく「売れなきゃ話にならない」ってのは真実なので、「世界で売れるFF」を創る必要があったのは皆、同じでしょう。その方向性が違うだけで。
出来上がった【FF8】を見る限り、「世界基準の【FF】」を選んだんだろうな・・・とは思いますが。だからと言ってスクウェアが「世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てた」って事ではないと思います。
表向きには「世界基準の【FF】」ですが、それでは「今まで支えてくれたファン」の期待に応える事が出来ないのは、スクウェアは分かっていた筈です。だって「生みの親」なんだから。
だからスクウェアは「今まで支えてくれたファン」の為に幻想の種を撒いた。「今まで支えてくれたファン」なら、その幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を生み出してくれるに違いない。そういう希望が込められていたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。「伏線が未回収でストーリーが分かりにくい」と言われる【FF8】になっている。
「【FF】はこんなゲームで終わる筈がない。
きっと何か隠されたストーリーがある筈だ!」
「【FF】の事だから、他のイベントとリンクしてるんじゃないか?」
「幻想に幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」
「【FF8】に【FF】という幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」
その夢が「リノア=アルティミシア説」であったり、「スコール死亡説」であったり、「世界ループ説」であったりするなら・・・それはスクウェアの希望が叶ったという事。
スクウェアが咲かせる事が出来なかった幻想物語。
今の時代となっては「今まで支えてくれたファン」ではないかもしれませんが。「熱心なファン」が、幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を見事に咲かせてくれた・・・っていう事じゃないかな?
そういう意味で【FF8】はスコール同様、難産の末に生まれたと、七瀬は思っています。
でも・・・だとすると、実はもう一つ大きな覚悟を示してたんじゃないかな?
スコールを生んだ後。恐らく難産の末にレインは亡くなりました。
もしも制作陣が、レインとスクウェア&スコールと【FF8】を重ねていたのなら。
【FF8】を世に送り出した後、スクウェアは死んだ。少なくとも「死ぬ覚悟」を持っての【FF8】だった。
制作陣は決して「ダメならダメで何とかなるだろ」みたいな気持ちで『FF』らしくない【FF8】を創ったのではなかったんだろうと・・・七瀬は当時のスクウェア制作陣を信じています。
*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
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【七瀬の幻想による筋書き】
①難産の末に生まれた『主人公・スコール』=【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだった。
②「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
③スクウェアは「今まで支えてくれたファン」が「その人の【FF8】という幻想物語」を描いてくれると信じたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。
④【FF8】を世に送り出して、スクウェアは死ぬ。死んでしまうかもしれない。レインのお産と重ねていたとすれば、それ位の覚悟を持っての【FF8】だった。
気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。
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ゲーム中で「難産の末に生まれたのは主人公・スコール」ですが。実はそれは【FF8】は非常に厳しい現実の中で創られたゲームだったという事を示してたんじゃないかな?
大前提の【スクウェアが【FF8】に込めた想い?】にも書きましたが。七瀬は、【FF8】は「全世界の人々」対象に創られている&スクウェアは【FF8】というゲームで「多様性を受け入れる事の大切さ」を伝えたかったんじゃないかと思っているのですが・・・このメッセージを一番痛感していたのは、他ならぬスクウェアだったんじゃないかと思うんです。
【『世界中の人々』が対象=『共感力』の違い】
【ハード性能の向上による視覚化】
【「プレイヤーの資質」の差】
長くなるので別記事にまとめましたが・・・こういう事情を考えたら、七瀬的には【FF】らしくない【FF8】が誕生しても、理屈としては通る気がします。・・・気持ちとしては複雑ですが。
「世界中の人々」に受け入れられるよう、「日本基準で作っていた【FF】」ではなく「世界基準の【FF】」を模索した結果、【FF8】は【FF】らしさを捨てざるを得なかった。
多分、スクウェア内部でも意見が分かれたんじゃないかと思います。
「今までの【FF】が評価されてここまで来たんだから、
今までの【FF】で世界に挑むべきだ!」
「いくら良い商品でも、手に取ってもらえなければ意味がない。
プレイしてもらわなければ、その良さは伝わらない。
今はとにかく「世界に受け入れられる事」が優先だ。」
「それでは、今までの日本のファンはどうなるんですか?
世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てるんですか?!」
まぁ・・・全部、七瀬の勝手な想像ですけどね。関係者の間で、そういう厳しいやり取りがあったんじゃないかなぁと。
勿論、「世界基準の【FF】」と「今までの【FF】」。どちらを誰が支持したのかは分かりません。誰が、どの部署が、どの会社が言い出したのかも分かりません。
でも金儲け的な意味だけではなく「売れなきゃ話にならない」ってのは真実なので、「世界で売れるFF」を創る必要があったのは皆、同じでしょう。その方向性が違うだけで。
出来上がった【FF8】を見る限り、「世界基準の【FF】」を選んだんだろうな・・・とは思いますが。だからと言ってスクウェアが「世界の為に、今まで支えてくれたファンを見捨てた」って事ではないと思います。
表向きには「世界基準の【FF】」ですが、それでは「今まで支えてくれたファン」の期待に応える事が出来ないのは、スクウェアは分かっていた筈です。だって「生みの親」なんだから。
だからスクウェアは「今まで支えてくれたファン」の為に幻想の種を撒いた。「今まで支えてくれたファン」なら、その幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を生み出してくれるに違いない。そういう希望が込められていたからこそ、敢えて答え合わせをしないままにしている。「伏線が未回収でストーリーが分かりにくい」と言われる【FF8】になっている。
「【FF】はこんなゲームで終わる筈がない。
きっと何か隠されたストーリーがある筈だ!」
「【FF】の事だから、他のイベントとリンクしてるんじゃないか?」
「幻想に幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」
「【FF8】に【FF】という幻想を重ねて 夢を見ているのは誰だ?」
その夢が「リノア=アルティミシア説」であったり、「スコール死亡説」であったり、「世界ループ説」であったりするなら・・・それはスクウェアの希望が叶ったという事。
スクウェアが咲かせる事が出来なかった幻想物語。
今の時代となっては「今まで支えてくれたファン」ではないかもしれませんが。「熱心なファン」が、幻想の種から「その人の【FF8】という幻想物語」を見事に咲かせてくれた・・・っていう事じゃないかな?
そういう意味で【FF8】はスコール同様、難産の末に生まれたと、七瀬は思っています。
でも・・・だとすると、実はもう一つ大きな覚悟を示してたんじゃないかな?
スコールを生んだ後。恐らく難産の末にレインは亡くなりました。
もしも制作陣が、レインとスクウェア&スコールと【FF8】を重ねていたのなら。
【FF8】を世に送り出した後、スクウェアは死んだ。少なくとも「死ぬ覚悟」を持っての【FF8】だった。
制作陣は決して「ダメならダメで何とかなるだろ」みたいな気持ちで『FF』らしくない【FF8】を創ったのではなかったんだろうと・・・七瀬は当時のスクウェア制作陣を信じています。
FF8:[32] 『アルティミシアの時代』って、いつなの?
- 2021/02/14 (Sun) |
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【七瀬の幻想による筋書き】
①ゲーム本編では「イデアの何代も何代も後の、遠い未来の魔女」という事以外は分からない。
②七瀬の解釈で言えば、地上の人々の「負のエネルギー」によって『Artemisia』が『Ultimecia』になってしまう未来。
③それが何年後なのかは、地上の人々が月に向ける「負のエネルギー量」次第なので、本編終了後の地上の人々の行い次第で変動する。
気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。
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*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【七瀬の幻想による筋書き】
①ゲーム本編では「イデアの何代も何代も後の、遠い未来の魔女」という事以外は分からない。
②七瀬の解釈で言えば、地上の人々の「負のエネルギー」によって『Artemisia』が『Ultimecia』になってしまう未来。
③それが何年後なのかは、地上の人々が月に向ける「負のエネルギー量」次第なので、本編終了後の地上の人々の行い次第で変動する。
気になる方は【・・・続きを読む】から、お願いします。
FF8:覚え書き いろいろ ①
- 2021/02/13 (Sat) |
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【セルフィは日本人っぽい?】
セルフィ=セルフィー(英語: Selfie)=自分撮り(最近iPhone 12のCMで知った)。つまり制作陣(日本人)を投影したキャラ(もう少し広く見れば東洋人)。
彼女のトラビア弁(関西弁風)は、その国の訛りに置き換える事は出来るかもしれないけど、正真正銘そのニュアンスまで伝わる・理解出来る資質を持っているのは日本人だけ。
だからセルフィが好きな物は「お寿司」(アンジェロ談)。
流行らせたかった挨拶「まみむめも!」は、国民的アニメ・ライバルキャラのアレ。
日本人に近い感性なので、日本人受けがイイ。
高井氏曰く「セルフィはなんでもアリだったから、ネタを考えるのが楽しかったなぁ(笑)」・・・他のキャラは「〇〇人っぽいキャラで」みたいな縛りでもあったの?
でも「例のパン〇ラ」が日本人向けサービスかと思うと、少し複雑ではある・・・けど、「パン〇ラは日本文化」という意見もあるなら、それはそうかもね。
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【「だったら壁にでも話してろよ」】
・・・まぁ、スコールが「『SeeD=本来は和平交渉人』の資質を持つ者」という前提で創られているのなら。話を聞くだけでは「交渉人」の仕事は成立しないので、自分が出る幕じゃないって思っても仕方ないかなぁ。
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【デリング大統領は何故、生け贄にされた?】
これはそのまま、デリング大統領が、新旧の融合を望む次世代の誘いを無視し、昔からの悪しき思想・言動を、自他国民に強要する主導者だったから・・・かと。
実はデリング大統領の生存ルートは、「『大統領拉致作戦』でリノア達・森のフクロウと合流⇒和解する」だったと思うんですよね。言ってみれば、デリング大統領が載っている車両は「昔からの悪しき思想・言動を推し進め、周囲を見ないで真っ直ぐ破滅へと突き進んでいる状況(ハイテク嫌い=新しい思想・言動を受け入れない象徴)」。
そしてリノア達の車両は途中に割り込み、大統領車両と接続して別ルート(生存ルート)へ脱出。護衛車両とダミー列車はそのまま直進・・・つまり破滅の道へと進みます。そう考えれば『大統領拉致作戦』は、実は『大統領救出作戦』だったんじゃないかな・・・と(爆破しちゃダメだよ)。
あの時、偽物なんか寄越さずに、森のフクロウと和解していればなぁ・・・。彼のその行いは「和議のテーブルにも付かなかった」という事。「全部を否定してるんじゃない。お互いの良い所を活かしあって、一緒に世界を良くしようよ」という、新旧の融合を望む、次世代の誘いを無視したって事です。
偽デリング大統領の正体『ナムタル・ウトク』を、『ナムタル・ウドゥグ(シュメール語)』だとすれば、その意味は『死の運命(諸説あり)+悪霊・魔物の総称』だとか。・・・それって、ここで既に死亡フラグが立ってた、って事じゃないかな?
尚、もっと手前で言えば・・・デリング大統領が個人的にアナログ主義な分には、生け贄にはされなかったと思います。「大統領という立場で、他者に強要するのがダメだった」って事。
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【ドールの『海辺で母親の帰りを待つ少女』=『パブのオーナーの娘』?】
これって確定だったっけ?それとも状況証拠だけ?素直に考えたら、彼の部屋の『汚い本』に出て来る、
「海に落ちた娘を助けようとして
奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・
娘は、死を理解できていないようだ・・・・・・
私だって、ちっとも解らない」
と、海辺で「・・・・・・お母さん」「・・・・・・帰ってこないかな」と、母親の帰りを待つ少女は同一人物=『パブのオーナーの娘』だと思います。素直に考えれば、だけど。
でも「彼女の存在」が、何を意味していたのか分からない。「5年前に自分を助ける為に母親が亡くなった」&「それに気付かず、母親の帰りを待ち続ける娘」と、「5年前に妻(伴侶)を失って、時が止まっている父親」。
彼の時が止まったのが「3年目の夏の終わり(妻が溺れ死んだ)=5年前」だとすると、「2年目の秋(娘が生まれた)=6年前」。じゃあ「1年目(最初に書かれている馴れ初め)は7年前か?」って話ですが、「7年前の1年目は、結婚して1年目」であって、その前に出会ってからプロポーズするまでの「春(風が暖かくなったころ)~冬(初めて雪がつもった夜)という1年間=8年前」があるって事ではないかと。
そう考えると、「妻と出会った『8』年前」っていう数字に意味があるのか?
「『1』年前」っていう『1』は避けるのに、『2』『3』は表記する事に意味があるのか?
・・・『パブのオーナー』の正体も分からないので難しいなぁ。「『1』は書かないのに、『2』『3』は表記する」ってのは、ナンバリングの打ち方のイメージだけど。北米では当初『FF4=FF2』『FF6=FF3』って出してたらしいけど・・・関係あるかな?
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【『ドールのパブのオーナー』の妻は、カードクィーン?】
カードで負けた相手=スコールで2人目・・・って事は、彼自身も相当な強者ですよね?5年前まではレアカードもたくさん持ってたんだから、対戦回数自体が少ないって事も無いはずです。
つまり、あのオーナーをあれだけ負かそうと思ったら、生半可な強さでは話にならない。「あのオーナーに唯一、土を付けられそうな相手(しかも女性)=カードクィーン」という構図が過りますが、「オーナーが唯一負けて、プロポーズし「娘」を儲けた伴侶=カードクィーン」ではないかと。だって本に「奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・」って書いてあるから。
それに「父:パブのオーナー・娘:海辺の少女」を確定とした場合、「妻(母):カードクィーン」が成立しない理由が他にもあります。それは「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」という系譜。こちらは「カードクィーンに負けて特定のレアカードを取られると、そのカードから画家が新しいレアカードを描き、以前のカードは孫に渡る」という明確な流れがあるので、確定とします。
つまり「妻(母):カードクィーン」だと、彼女を軸に二つの家族が繋がる事になります。
そうなると、画家の「お嬢ちゃんのお母さん。早く帰ってくるといいねぇ・・・・・・」という台詞や、孫の「ボクとは遊んでくれないのに 女の子とは遊んでるし! なんでだよ!!」という台詞が不自然です。だって画家からすれば「お嬢ちゃんのお母さん=カードクィーン=自分の娘」だし。孫からすれば「女の子のお母さん=カードクィーン=自分のお母さん(つまり二人は兄妹)」になる筈ですから。
なのに何でこんな面倒な設定「妻=カードクィーンと思わせて、実はカードクィーンではない」を持たせたのか?
う~ん、可能性としては「父:パブのオーナー、娘:海辺の少女」と「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」に、直接的つながりはない。けど「妻(母):カードクィーン」の影をちらつかせる事で、2つの関係を繋ぎたかった・・・とか?
もしくは純粋に、この二人の馴れ初めに何らかの意味を持たせているから・・・かな?
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【レインも『魔女』だった?】
『魔法のハイン』の正体は「月」であり、「月に「貴方の力を貸してください」と願い、実際に月の力を授かった女性」だけが『魔女』、というなら、レインが『魔女』だったかは分かりません。
ただ、名付け親のテムが「女の姿をした『魔法のハイン』。私はこれを魔女と命名する」と断言しただけで、別に「不思議な力の根源が『魔法のハイン(月)』の力とは限らない」なら、レインも『魔女』だったんじゃないかな、と思います。
七瀬が思う『魔女の誕生』は、「大切な人を守りたい」という女性の謙虚な心からの願いに「月」が共感し、「月」の不思議な力の一部を授けたという考え方ですが、でもこれはテムが魔女の力の根源を『魔法のハイン(月)』に限定しているからであって、本来なら「月」でなく「あらゆる自然」が対象で良いと思うんですよね。
で、その前提に、ウィンヒルのサブイベントでのお婆さんの台詞を重ねると・・・、
「レインほど、花の心が分かる人は いませんでしたわ」
つまりレインは「月の魔女」ではなく、「花の魔女」だった。
レインが花・・・つまり薬草関係の知識に長けていた、花たちの力を持っていたからこそ、崖から紐無しバンジーで死にかけた満身創痍のラグナも奇跡の復活を果たせたんじゃないかな?
まぁ、レイン(花・薬草)の力だけで、体中バラバラだった人が後遺症もなくピンピンしてるのも、無理がある気はしますが・・・七瀬的には、そもそもあの閉鎖的な村に死に掛けのラグナが運び込まれたところで、どうやって治療したのかは謎なんですよね。
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【リノア=「月」なら、スコール=「太陽or星」?】
リノアは『Ultimecia』で、『Ultimecia』=月。だから、リノア=「月」・・・という筋書きで行くなら、スコールが「月」の対になる「太陽or星」という可能性があってもイイと思います。「月と太陽(もしくは星)の物語」って感じで、ロマンチック。
でも七瀬は、『FF8』のストーリーの本質は「全世界の人々が負のエネルギーを撒き散らしていると、月が闇に染まってしまう=これからの時代、世界の多様性を受け入れ合おう」って事だと思っているので・・・その場合は、スコールが「太陽or星」というのはナシかな、と。
だって「宗教・文化の違いとかで喧嘩するのは止めよう!」って声を上げる旗頭・スコールが、「実は太陽の意思を継ぐ者だから、月の為に頑張っていた」ってなると・・・何か方向性がブレてしまう気が。
七瀬としては「人間の行いが月を闇に染め、月をも救う事になる。その旗頭となったのがスコール(あくまでも人間の代表)」の方が、分かりやすくて好きかな。
ただ『シュミ族の長老』がやたら、スコールを特別視してますよね?
それに関しては、スクウェアが「『FF8』はプレイヤーが生み出す幻想物語」⇒「プレイヤー=創造主(神)」⇒「プレイヤーの分身=スコール」⇒「スコール=創造主の意思を継ぐ者(代弁者)」という構図が成立するのかな・・・と思います。要はどこをどう捉えるか、かな?
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【何で『長老のおつき』はラグナ像を「へっぽこ像」と言った?】
イベント全部を見たら、『長老のおつき』がラグナの事を敬愛していたのは一目瞭然。つまり彼が「へっぽこ像」と言ったのは、「ラグナなんてヤツの、出来損ないの像=ラグナ&ラグナ像自体に意味を感じていない」ではなくて、「こんな像ではラグナの魅力は伝えられない=だから「へっぽこ像」」って言ったんじゃないかな?やっぱりラグナは愛されキャラ?
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【『賢者バスカリューン』とオダイン博士の関係】
「ある日のガーデンの授業風景」の、「このあと、賢者バスカリューンの数々の発明や偉業が得意げにつづられていますが、もう『ハイン』は登場しません。 きっと作者も途中で忘れてしまったのでしょうね。」「だって、あなたたち、この本を信じるとすれば賢者バスカリューンは980年も生きたことになるんですよ。 ね? おかしいでしょ?」を、どう捉えるか?
『偉大なるバスカリューンの記』を書いたのは『賢者バスカリューンの子孫を名乗る者』。「数々の発明や偉業が得意げにつづられている」って部分からオダイン博士を連想するけど、
①『賢者バスカリューン』&『賢者バスカリューンの子孫』=ゲームに出て来るオダイン博士本人。
②『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士よりも前の子孫(血筋としては繋がっている)。
③『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士(本人が執筆)。
④全然、関係無い(「身勝手な人間像」としての表現)。
あの大袈裟な服装&口調を考えれば、意外と①も有り得るのかもしれないけど・・・実際のトコ、「貴方の幻想にお任せします」って部分じゃないかな?誰が書いたのかって重要そうで、実は重要でもない気がする。
大事なのは「賢者バスカリューンは980年も生きたことになる」の方。実際の神話とか記紀にも、有り得ないくらい長生きな人物って出てきますよね?日本なら、武内宿禰(約300歳)とか。
そういう部分を取り込んで『ハイン神話』&『偉大なるバスカリューンの記』に、神話らしさ・神話要素を加えたかったって事じゃないかな?分からないけど。
神話らしさって点で言えば、『アトラ・ハシース神話』との共通点も神話らしさ・神話要素って事なのかな?あまり『FF8』本編で洪水伝説を思わせるような部分は思い当たらないけど・・・。
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*
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【セルフィは日本人っぽい?】
セルフィ=セルフィー(英語: Selfie)=自分撮り(最近iPhone 12のCMで知った)。つまり制作陣(日本人)を投影したキャラ(もう少し広く見れば東洋人)。
彼女のトラビア弁(関西弁風)は、その国の訛りに置き換える事は出来るかもしれないけど、正真正銘そのニュアンスまで伝わる・理解出来る資質を持っているのは日本人だけ。
だからセルフィが好きな物は「お寿司」(アンジェロ談)。
流行らせたかった挨拶「まみむめも!」は、国民的アニメ・ライバルキャラのアレ。
日本人に近い感性なので、日本人受けがイイ。
高井氏曰く「セルフィはなんでもアリだったから、ネタを考えるのが楽しかったなぁ(笑)」・・・他のキャラは「〇〇人っぽいキャラで」みたいな縛りでもあったの?
でも「例のパン〇ラ」が日本人向けサービスかと思うと、少し複雑ではある・・・けど、「パン〇ラは日本文化」という意見もあるなら、それはそうかもね。
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【「だったら壁にでも話してろよ」】
・・・まぁ、スコールが「『SeeD=本来は和平交渉人』の資質を持つ者」という前提で創られているのなら。話を聞くだけでは「交渉人」の仕事は成立しないので、自分が出る幕じゃないって思っても仕方ないかなぁ。
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【デリング大統領は何故、生け贄にされた?】
これはそのまま、デリング大統領が、新旧の融合を望む次世代の誘いを無視し、昔からの悪しき思想・言動を、自他国民に強要する主導者だったから・・・かと。
実はデリング大統領の生存ルートは、「『大統領拉致作戦』でリノア達・森のフクロウと合流⇒和解する」だったと思うんですよね。言ってみれば、デリング大統領が載っている車両は「昔からの悪しき思想・言動を推し進め、周囲を見ないで真っ直ぐ破滅へと突き進んでいる状況(ハイテク嫌い=新しい思想・言動を受け入れない象徴)」。
そしてリノア達の車両は途中に割り込み、大統領車両と接続して別ルート(生存ルート)へ脱出。護衛車両とダミー列車はそのまま直進・・・つまり破滅の道へと進みます。そう考えれば『大統領拉致作戦』は、実は『大統領救出作戦』だったんじゃないかな・・・と(爆破しちゃダメだよ)。
あの時、偽物なんか寄越さずに、森のフクロウと和解していればなぁ・・・。彼のその行いは「和議のテーブルにも付かなかった」という事。「全部を否定してるんじゃない。お互いの良い所を活かしあって、一緒に世界を良くしようよ」という、新旧の融合を望む、次世代の誘いを無視したって事です。
偽デリング大統領の正体『ナムタル・ウトク』を、『ナムタル・ウドゥグ(シュメール語)』だとすれば、その意味は『死の運命(諸説あり)+悪霊・魔物の総称』だとか。・・・それって、ここで既に死亡フラグが立ってた、って事じゃないかな?
尚、もっと手前で言えば・・・デリング大統領が個人的にアナログ主義な分には、生け贄にはされなかったと思います。「大統領という立場で、他者に強要するのがダメだった」って事。
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【ドールの『海辺で母親の帰りを待つ少女』=『パブのオーナーの娘』?】
これって確定だったっけ?それとも状況証拠だけ?素直に考えたら、彼の部屋の『汚い本』に出て来る、
「海に落ちた娘を助けようとして
奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・
娘は、死を理解できていないようだ・・・・・・
私だって、ちっとも解らない」
と、海辺で「・・・・・・お母さん」「・・・・・・帰ってこないかな」と、母親の帰りを待つ少女は同一人物=『パブのオーナーの娘』だと思います。素直に考えれば、だけど。
でも「彼女の存在」が、何を意味していたのか分からない。「5年前に自分を助ける為に母親が亡くなった」&「それに気付かず、母親の帰りを待ち続ける娘」と、「5年前に妻(伴侶)を失って、時が止まっている父親」。
彼の時が止まったのが「3年目の夏の終わり(妻が溺れ死んだ)=5年前」だとすると、「2年目の秋(娘が生まれた)=6年前」。じゃあ「1年目(最初に書かれている馴れ初め)は7年前か?」って話ですが、「7年前の1年目は、結婚して1年目」であって、その前に出会ってからプロポーズするまでの「春(風が暖かくなったころ)~冬(初めて雪がつもった夜)という1年間=8年前」があるって事ではないかと。
そう考えると、「妻と出会った『8』年前」っていう数字に意味があるのか?
「『1』年前」っていう『1』は避けるのに、『2』『3』は表記する事に意味があるのか?
・・・『パブのオーナー』の正体も分からないので難しいなぁ。「『1』は書かないのに、『2』『3』は表記する」ってのは、ナンバリングの打ち方のイメージだけど。北米では当初『FF4=FF2』『FF6=FF3』って出してたらしいけど・・・関係あるかな?
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【『ドールのパブのオーナー』の妻は、カードクィーン?】
カードで負けた相手=スコールで2人目・・・って事は、彼自身も相当な強者ですよね?5年前まではレアカードもたくさん持ってたんだから、対戦回数自体が少ないって事も無いはずです。
つまり、あのオーナーをあれだけ負かそうと思ったら、生半可な強さでは話にならない。「あのオーナーに唯一、土を付けられそうな相手(しかも女性)=カードクィーン」という構図が過りますが、「オーナーが唯一負けて、プロポーズし「娘」を儲けた伴侶=カードクィーン」ではないかと。だって本に「奴は・・・・・・溺れ死んだという・・・・・・」って書いてあるから。
それに「父:パブのオーナー・娘:海辺の少女」を確定とした場合、「妻(母):カードクィーン」が成立しない理由が他にもあります。それは「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」という系譜。こちらは「カードクィーンに負けて特定のレアカードを取られると、そのカードから画家が新しいレアカードを描き、以前のカードは孫に渡る」という明確な流れがあるので、確定とします。
つまり「妻(母):カードクィーン」だと、彼女を軸に二つの家族が繋がる事になります。
そうなると、画家の「お嬢ちゃんのお母さん。早く帰ってくるといいねぇ・・・・・・」という台詞や、孫の「ボクとは遊んでくれないのに 女の子とは遊んでるし! なんでだよ!!」という台詞が不自然です。だって画家からすれば「お嬢ちゃんのお母さん=カードクィーン=自分の娘」だし。孫からすれば「女の子のお母さん=カードクィーン=自分のお母さん(つまり二人は兄妹)」になる筈ですから。
なのに何でこんな面倒な設定「妻=カードクィーンと思わせて、実はカードクィーンではない」を持たせたのか?
う~ん、可能性としては「父:パブのオーナー、娘:海辺の少女」と「父:ドールの画家、娘:カードクィーン、孫:落書き少年」に、直接的つながりはない。けど「妻(母):カードクィーン」の影をちらつかせる事で、2つの関係を繋ぎたかった・・・とか?
もしくは純粋に、この二人の馴れ初めに何らかの意味を持たせているから・・・かな?
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【レインも『魔女』だった?】
『魔法のハイン』の正体は「月」であり、「月に「貴方の力を貸してください」と願い、実際に月の力を授かった女性」だけが『魔女』、というなら、レインが『魔女』だったかは分かりません。
ただ、名付け親のテムが「女の姿をした『魔法のハイン』。私はこれを魔女と命名する」と断言しただけで、別に「不思議な力の根源が『魔法のハイン(月)』の力とは限らない」なら、レインも『魔女』だったんじゃないかな、と思います。
七瀬が思う『魔女の誕生』は、「大切な人を守りたい」という女性の謙虚な心からの願いに「月」が共感し、「月」の不思議な力の一部を授けたという考え方ですが、でもこれはテムが魔女の力の根源を『魔法のハイン(月)』に限定しているからであって、本来なら「月」でなく「あらゆる自然」が対象で良いと思うんですよね。
で、その前提に、ウィンヒルのサブイベントでのお婆さんの台詞を重ねると・・・、
「レインほど、花の心が分かる人は いませんでしたわ」
つまりレインは「月の魔女」ではなく、「花の魔女」だった。
レインが花・・・つまり薬草関係の知識に長けていた、花たちの力を持っていたからこそ、崖から紐無しバンジーで死にかけた満身創痍のラグナも奇跡の復活を果たせたんじゃないかな?
まぁ、レイン(花・薬草)の力だけで、体中バラバラだった人が後遺症もなくピンピンしてるのも、無理がある気はしますが・・・七瀬的には、そもそもあの閉鎖的な村に死に掛けのラグナが運び込まれたところで、どうやって治療したのかは謎なんですよね。
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【リノア=「月」なら、スコール=「太陽or星」?】
リノアは『Ultimecia』で、『Ultimecia』=月。だから、リノア=「月」・・・という筋書きで行くなら、スコールが「月」の対になる「太陽or星」という可能性があってもイイと思います。「月と太陽(もしくは星)の物語」って感じで、ロマンチック。
でも七瀬は、『FF8』のストーリーの本質は「全世界の人々が負のエネルギーを撒き散らしていると、月が闇に染まってしまう=これからの時代、世界の多様性を受け入れ合おう」って事だと思っているので・・・その場合は、スコールが「太陽or星」というのはナシかな、と。
だって「宗教・文化の違いとかで喧嘩するのは止めよう!」って声を上げる旗頭・スコールが、「実は太陽の意思を継ぐ者だから、月の為に頑張っていた」ってなると・・・何か方向性がブレてしまう気が。
七瀬としては「人間の行いが月を闇に染め、月をも救う事になる。その旗頭となったのがスコール(あくまでも人間の代表)」の方が、分かりやすくて好きかな。
ただ『シュミ族の長老』がやたら、スコールを特別視してますよね?
それに関しては、スクウェアが「『FF8』はプレイヤーが生み出す幻想物語」⇒「プレイヤー=創造主(神)」⇒「プレイヤーの分身=スコール」⇒「スコール=創造主の意思を継ぐ者(代弁者)」という構図が成立するのかな・・・と思います。要はどこをどう捉えるか、かな?
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【何で『長老のおつき』はラグナ像を「へっぽこ像」と言った?】
イベント全部を見たら、『長老のおつき』がラグナの事を敬愛していたのは一目瞭然。つまり彼が「へっぽこ像」と言ったのは、「ラグナなんてヤツの、出来損ないの像=ラグナ&ラグナ像自体に意味を感じていない」ではなくて、「こんな像ではラグナの魅力は伝えられない=だから「へっぽこ像」」って言ったんじゃないかな?やっぱりラグナは愛されキャラ?
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【『賢者バスカリューン』とオダイン博士の関係】
「ある日のガーデンの授業風景」の、「このあと、賢者バスカリューンの数々の発明や偉業が得意げにつづられていますが、もう『ハイン』は登場しません。 きっと作者も途中で忘れてしまったのでしょうね。」「だって、あなたたち、この本を信じるとすれば賢者バスカリューンは980年も生きたことになるんですよ。 ね? おかしいでしょ?」を、どう捉えるか?
『偉大なるバスカリューンの記』を書いたのは『賢者バスカリューンの子孫を名乗る者』。「数々の発明や偉業が得意げにつづられている」って部分からオダイン博士を連想するけど、
①『賢者バスカリューン』&『賢者バスカリューンの子孫』=ゲームに出て来るオダイン博士本人。
②『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士よりも前の子孫(血筋としては繋がっている)。
③『賢者バスカリューン』=オダイン博士の祖先&『賢者バスカリューンの子孫』=オダイン博士(本人が執筆)。
④全然、関係無い(「身勝手な人間像」としての表現)。
あの大袈裟な服装&口調を考えれば、意外と①も有り得るのかもしれないけど・・・実際のトコ、「貴方の幻想にお任せします」って部分じゃないかな?誰が書いたのかって重要そうで、実は重要でもない気がする。
大事なのは「賢者バスカリューンは980年も生きたことになる」の方。実際の神話とか記紀にも、有り得ないくらい長生きな人物って出てきますよね?日本なら、武内宿禰(約300歳)とか。
そういう部分を取り込んで『ハイン神話』&『偉大なるバスカリューンの記』に、神話らしさ・神話要素を加えたかったって事じゃないかな?分からないけど。
神話らしさって点で言えば、『アトラ・ハシース神話』との共通点も神話らしさ・神話要素って事なのかな?あまり『FF8』本編で洪水伝説を思わせるような部分は思い当たらないけど・・・。