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落書き帳の10ページ目

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FF8:[39] 『FF8開発室』は、どこにある? ②-1

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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
*本ブログは『個人の幻想設定』を基に、勝手に『幻想物語』を夢見て踊らされているだけです。公式や既存の説を否定するつもりはありませんので、そっとしておいて下さい*

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【七瀬の幻想による筋書き】
①候補地②は、『フィッシャーマンズ・ホライズン』。
②「釣りじいさん=坂口 博信氏」「店のじいさん=野村 哲也氏」「釣り子供=当時の新入社員」「作業場のおっさん=成田 賢氏」
③ここが『FF8開発室』に見える人は、『スクウェア』に対して好意的な人?

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FF8:[38] 『FF8開発室』は、どこにある? ①

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*カテゴリー【ゲーム語り】は、ネタバレを含みます。ご注意ください*
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 スクウェアスタッフのお遊びネタとして【FF4】の開発室が有名ですが。実は【FF8】にも開発室は隠されているんじゃないかと、七瀬は勝手に思っています。
 ただ、本編にすら「秘密・隠し事」をしている【FF8】です。なので普通にプレイしたのでは気付けない・・・他のイベントと共存している&プレイヤーがスクウェアに対してどのような幻想を持っているかによって場所が変わる。プレイヤーの幻想を大事にしているスクウェアは、自分達に対する幻想もプレイヤーの幻想に託した・・・そんな感じでしょうか?

 とにかく『【FF8】開発室』は、プレイヤーがスクウェアの事をどう思っているか?どんなイメージで見ているか?で、「ここが『【FF8】開発室』だ!」と思える場所が違う筈です。
 なのであくまでも七瀬の主観になりますが・・・何か所か、候補地を上げたいと思います。
 貴方がイメージする『【FF8】開発室』が見付かるかな?

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【候補地①:シュミ族の村】
 「『【FF8】開発室』が、メイン部分に食い込んでくる筈がない」っていう先入観で見た場合、真っ先に頭を過るのは、サブイベントで関わる『シュミ族の村』です。
 【シュミ族の長老と、スクウェアの誓い】に書いた通り、七瀬はシュミ族の長老は、スクウェア制作陣のメッセージ&誓いを代弁していると思っています。また趣味が高じて仕事にしている様子から、「好きな事を仕事にしていた」「モノを作る事を生業にしている」「でも趣味ではダメ。タダ飯食うな!」という要素も、スクウェアのイメージに通じる部分があるかと思います。

 でも最初に書いたように、プレイヤーがスクウェアにどんなイメージを持っているかで、『【FF8】開発室』の場所は変わります。
 つまり、先程上げたイメージが「え~、スクウェアってそんな感じかな?」と、受け入れられない人にとっては、『シュミ族の村』は『【FF8】開発室』ではない・・・という事です。

 実際、七瀬にとっての『【FF8】開発室』は、『シュミ族の村』ではありません。
 何て言うか・・・創成期のスクウェアならアリかもしれませんが、当時のスクウェアのイメージではないです。この頃のスクウェアは、そこまで自分の好きな事にだけ固着できる環境では無かったんじゃないかと。既に大企業だしね。
 この辺りは追々書きますが・・・F.H.の「つりじいさん」「作業場のおっさん」との繋がりがある事から、全く関係ない訳では無いけど、『【FF8】開発室』というよりもう少し規模が小さい関連部署じゃないかな・・・ってのが七瀬の感触です。

 どうしても【FF8】の方向性に賛同できなくて、メインの『【FF8】開発室』に居られなくなった人たちで作られた、開発チームの1つとか(逆に言えば「巧くやれば」無理が通る)。
 昔からスクウェアと関係がある、関連子会社とか。
 シュミ族がムンバに変化する=ムンバが「ゲームを愛する人たち」を現しているのなら、いずれムンバに変化するシュミ族は「既にゲームで食べていける人」というよりも、まだ「ゲームが好きだから」っていう趣味の気分が良くも悪くも抜けていない人。趣味と仕事の境界が上手く作れていない人。正社員・重要職に上がれるのは才能がある人だけ(=長老)で、それ以外は「ゲームが好き」という気持ちを持ったまま、ゲーム業界を去ってしまう(=ムンバ)若手チームとか。

 まぁ・・・可能性は、考える人の数だけあるとは思いますが。七瀬的には『シュミ族の村』は、『【FF8】開発室の関連部署』ってイメージですね。

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FF8:覚え書き いろいろ ②

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【『SeeD』の敬礼】
 『SeeD=本来は和平交渉人』と考えれば、結婚指輪を見せるor見せ合うポーズ(ラグナ&レイン)は、「相手に最上級の愛情を持って接する心」の現れ。例え敵対関係にある交渉相手にも愛を持って接するって事だから、本来の『SeeD』には相応しい敬礼じゃないかな、と。
 メタい部分で言えば、よくある既存の軍事式の敬礼は「世界を相手に考えた場合、ちょっと使い辛いな・・・」ってのもあるかもね。『FF8』の場合、視覚的に見えてしまうので。

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【スコールの武器:ガンブレード】
 見栄えとかシステム的な面よりも「ガン(銃)」と「ブレード(剣)」が融合した武器・・・って事に、意味があるんじゃないかな?新旧の武器の融合体であるガンブレードを使いこなせる事と、SeeD(=異なる文化を繋ぐ『和平交渉人』)の素質を掛けてる・・・みたいな。
 ガンブレードと言えばシド学園長がSeeDには、まだ、ガンブレード使いはいないのです。」「だから君とサイファーには ぜひSeeDになって もらいたいのですよとか、「ひそひそ・・・・・・ (これでガンブレードのSeeDですね)」と言っていましたが。武器としては「扱いのむずかしさから現在はすたれれつつある特殊な武器」ですよね?
 もしかしたら、それぞれの特色があるんだから、何でもかんでもくっ付ければいいってモンじゃない・・・って意味もあるのかな?。無理にくっ付けるよりも、お互いの個性を尊重しあった方がイイ事もある、みたいな?

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【カードゲームの存在意義】
 「『FF8』のメインはカードゲーム」という人も居るらしい、カードゲーム。あれって分かりやすく「カードゲーム」って体裁を取っているだけで、「世界文化の流動そのもの」を示してるんじゃないかな?
①そのエリアのルールに則って戦う=郷に入っては郷に従え。
②旧エリアでプレイした後、新エリアでプレイすると、新エリアに旧エリアのルールが伝わったり、新エリアのルールが廃れる事がある=異なる文化の流入と、それに伴う衰退。
③トレードルールが変化する仕組みと、盛ん度(ピークまでは急速に広まるけど、一定値を過ぎると減速し、最終的には1つのルールに収束。これを1周期として繰り返す)=世界的流行の興隆と衰退。
④カードクイーンに30000ギルを支払うと、クイーンが居るエリアに新しいルールを追加してもらえる=その道のプロに正当な報酬を支払って、自分達の文化を広める手伝いをしてもらう。

 その他、カードクイーンの父親(ドールの画家)は、レアカードから新しいレアカードを描いてくれるし。パブのオーナーも「レアカードは一か所に集まっているよりも、色々な人が持っている方がイイ」みたいな事を言ってなかったっけ?そういうのも、他の文化から影響を受けて、新しい文化が芽生えるとか。文化は一極集中しているよりも、色々な地域でそれぞれの特色を持った文化が栄えている方が自然でイイ・・・って事なんじゃないかな?

 そう考えたら、彼女の大層な自己紹介。
「わたしはカードクイーン。
 カードゲームのルールの乱れを 監視するために世界を旅しています」
 ってのは「世界文化の流動・秩序の乱れを 監視するために世界を旅しています」=「世界文化の流動は皆にとって平等なルールに則っているべきであって、それが暴力などによって捻じ曲げられる事は許されない」って事なので。単なるゲーム好きじゃなくて、その自己紹介に恥じない大きな使命を背負ってたのかな・・・なんて思ったりもします。

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【『Eyes On Me』は、何を歌った曲?】
 ジュリアが『Eyes On Me』を創った&歌うようになったのは、ラグナが新たな任務でデリングシティを離れてから(そしてラグナは帰ってこなかった)。
 だとすると、『Eyes On Me』の歌詞はちょっと「変」じゃないかと。

 歌う時はいつも ステージで独りきり
 語る時はいつも 聞いてほしいと願ってた

 そのたびに、あなたが笑っていたような
 本当かしら、気のせいかしら
 あなたはいつも片隅にいた ちっぽけな、このバーの

 上の二行だけなら「今のジュリアが、ラグナが通っていた頃を思い返している」と思えば、分かるんだけど。下の三行まで見ると「?」ってなりませんか?だってラグナの特等席は「いつもの特等席(=ゲーム中に座った場所)」・・・あそこをあなたはいつも片隅にいた ちっぽけな、このバーのって表現するかな?特等席だよ?

 率直に言えば、別れ際に「また会える?」「もちろん。 歌、聴きに来なくちゃ」と約束していたラグナが、本当に会いに来ていたんじゃないかと、七瀬は思うんですよね。
 勿論、ラグナ本人はウィンヒルで瀕死の重体です。でもそれって逆に言えば、幽体離脱とか魂とか『G.F.』みたいな「魂が身体を抜け出して、思い出の地へ行く系のイベント」には、持って来いな状況じゃないかと。

 つまり、ウィンヒルで寝たきりの間、ラグナの魂はジュリアとの約束を守る為に、ジュリアの元を何度も訪れていた。
 そんなラグナの存在を「ラグナがココに戻って来て、私の話を聞いてくれていたらな」と思う度に、「バーの片隅で笑う貴方の幻影が見えた気がしたの・・・本当かしら、気のせいかしら?」とジュリアは感じていた。その心の内を歌ったのが『Eyes On Me』だったんじゃないかな?

 もしかしたら・・・ジュリアはこの体験(=ラグナの幽霊?)から「ラグナは死んでしまったんじゃないか?」って思って、カーウェイとの結婚に踏み切ったのかもしれないしね。だったら「ジュリアがラグナの帰りを待たなかった&ひどく心が弱ってしまった」のも納得だし。

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【『フィッシャーマンズ・ホライズン』という名前の由来】
 もしもスクウェアが『F.H.』に『FF8開発室』という幻想を重ねていたのなら・・・『F.H.』=当時スクウェアが所有していた、『ホノルル・スタジオ』(設置:1997年5月~閉鎖:2002年3月)に引っ掛けているんじゃないかな?
 でも、どっちかって言うと『ホノルル・スタジオ』は例の『FF(映画)』とか『FF9』を創っていたイメージが強いんだけど・・・どうだろ?『FF8』って『ホノルル・スタジオ』関係してたのかな?
 時期的には『FF7(1997年1月発売)』の後に設置しているので、『FF8』の開発時期と被ってるのは間違いないと思うんですけどね。

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【セルフィバンドの正解は『アイリッシュジグ』?】
 『アルティマニア』に書かれている分岐は「●アイリッシュジグ ●バラード ●ふたつの曲が混在(サックスあり) ●ふたつの曲が混在(サックスなし) このうち、会話がふつうに進むのは、アイリッシュジグのときのみ。」つまり、「アイリッシュジグが正解」とも書いてないんですよね。
 その他に関しても「ほかの場合だと、それぞれ異なる反応を見られるが、結局は話がこじれてしまうのだ。」と書かれているだけで、明確に「その他は失敗・不正解」と書かれている訳でもありません。だから開発陣としては「好きなのを選んでくれたらイイ」って事なんじゃないかな?

 ただ事実として「『アイリッシュジグ』を選んだ時だけ、会話がふつうに進む」ってのがあるので。それが何でかと言われれば・・・FF8』には、これからの世界での多様性の大切さというメッセージが込められている。だからバラード(=FF8テーマ曲『Eyes On Me』)だと「自己主張が激しくて、なんか思惑が見えていやらしい」ってなるし、変にごちゃ混ぜだと「何でこんなのがイイのか分からない」ってなる。
 「みんなで仲良くやって行こうよ!」を訴えたいからこそ、アイルランドの各地方に伝わる伝統的なダンスの伴奏をベースに持つ
『アイリッシュジグ』だけが、会話がふつうに進むんじゃないかなぁ?

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【対象を変化&戻す魔法は、何で無くなった?】
 何故か『FF8』では無くなってしまった、『トード』『ポーキー』『カッパー』など、対象を変化&戻す魔法。疑似魔法が魔女の魔法に由縁するなら、魔女っぽい技としてあった方が世界観的には合ってるような気がするんだけど。単純に、頭身の高いポリゴンキャラを、蛙・豚・河童に変身させるのに違和感があったから削除されただけ・・・なのかな?
 もしかしたら、『FF8の魔女』は、そもそも変身魔法を使えないって可能性はないかな?魔法で変身=自身の若返り・肉体修復が可能になってしまうと、『悪い魔女の末路』を回避できるようになってしまうから。
 もう一つは、『魔女の力』には、物質(=実体・実物)を変える力はないって可能性。『魔女の力』は、あくまでも幻想から幻想を生み出す力であって、実際にある物体を捻じ曲げる事は出来ない・・・みたいな。つまり、炎を出したいって気持ち(=幻想)から、幻想の炎が生まれる=ファイアって事。

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【『Jの悲劇』は、本当にジャム?】
「・・・・・・覚えてるか?
 あの『Jの悲劇』・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
「軽く怒らせた時、靴にジャムを仕込まれて
 おまえ・・・・・・本当に半泣きになっていたな・・・・・・」
「今・・・・・・思い出しても 鳥肌が立つぜ・・・・・・」
 という、ラグナ君トラウマ全開の『Jの悲劇』。
 『〇の悲劇』シリーズのパロディ物という印象を押し出す為なのか、ジョークっぽいテイストを感じるのですが・・・あの辺り一連のやり取りは、何か違和感を感じるんですよね。
 ラグナの実体験&キロスがその場面に遭遇しているからには、何かの例えでは無くて実際に「怒ったエルオーネが、ラグナの長靴にジャムを入れた」という出来事はあったんだと思います。でもこの出来事が意味する「本当の意味」は、別にあるんじゃないかな?
 これはジュリアのスペルが『Julia Heartilly』だとすればですが、『Jの悲劇』の『J』はジャムではなく、ジュリアの事を指している・・・って可能性は無いかな?

 普通に考えれば、ジュリアとエルオーネの接点って全く無い筈。エルオーネがジュリアの事を知ったのは、キロスがウィンヒルの村に来た時のラグナとの会話・・・つまり「ラグナとジュリアの関係が終わってから」です。
 でも、この時点のエルオーネが、JMLに相当する不思議な能力を既に持っていたなら。この時点から過去に遡ってジュリアの運命に干渉する(レインの為に干渉する)事が、出来たんじゃないかな?

 つまり『Jの悲劇』は悪意があって起こしたのではなく、「ラグナがレインと結婚しないのは、ジュリアって人が好きだから?」っていう「れでぃ~の焼きもち」が引き起こしてしまった、『ジュリアの悲劇』だった?
 だとしたら「普段、お気楽そうなラグナが本気で半泣き」になっても仕方がなくないかなぁ?子供がした事だから怒れないけど・・・やり切れないよね。レインとの未来にスコールが生まれる事を考えると、修正する訳にもいかないし。

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【アルティミシアで『キャラの血液型』は公開OKな理由?】
  以前【七瀬の最大の謎・アンジェロちゃん】で、
 『FF8』はプレイヤーの幻想を制限しない為、出来るだけキャラの個性を限定させないようにしている。
  ↓
 好物って食文化(お国柄)が出る=「お寿司が好きって事は、〇〇はXXの国のイメージなのかな?」って先入観を植え付ける事になる。
  ↓
 だから直接キャラのプロフィール欄に好物を書く事を避け、その代わりに多様性の象徴であるアンジェロに請け負ってもらった。
 というような事を書きましたが・・・一つ思い当たる事を思い出したので付け足しておきます。

 この記事を読んで「だったら血液型を公開してるのは、おかしくない?血液型から性格とか推測されちゃうよ?」と思われる方もおられるかもしれませんが・・・そもそもそれが「日本人特有の感性」なんじゃないかと七瀬は思うんです。
 どういう事か?簡単に言えば、血液型を見て「A型は几帳面」「O型って事はおおらか」なんて発想を持つのは日本人くらいで、ゲームキャラの情報に血液型が描かれていても外国の方は「何でわざわざこんなデータ載せてるんだろ?」って思うだけって事です。
 だからリノアの血液型が「?」になっているのに対しても、日本人は「魔女だから、血液型が?(特殊・ミステリアスな感じ)なのかな?」と思えるかもしれないけど。そもそも自分の血液型すら知らない人も多い外国の方が見ても「オー、俺も自分の血液型知らないよ」ってなモンで、全然引っ掛からないんじゃないかな?

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FF8:[37] シュミ族の長老と、スクウェアの誓い?

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【七瀬の幻想による筋書き】
①シュミ族の村の『5つの石集め』には「本当に【FF8】を遊び・研究し・理解してくれた人だけ「開発者たちの手の内(秘密・隠し事)」を見る事が出来る。何となくプレイしただけとか、サブイベントとか別に興味ないってプレイヤーには「開発者たちの手の内(秘密・隠し事)」は隠されたまま=開発者がそれを教える事は無い」っていう、スクウェア開発陣の誓い&プレイヤーへのメッセージが込められている。
②スクウェア開発陣がその誓いを破る事は無い。だってその誓いを破るという事は「シュミ族の長老ではなく、ノーグになってしまう」って事だから。
③でも「本編のノーグは何に変身したか分からないまま行方不明」=「ネタバレをした開発スタッフが、ファンからどのように評価されるかまでは分からない」という所まで織り込み済み。

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[36] 「プレイヤーの資質」の差

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 これは「ゲームの才能」や「ゲームが上手い・下手」という意味ではなく、ゲームをゲームとしてどこまで許容出来るか?「ゲームだから当たり前」と思えるか。
 【Final Fantasy 8】というゲームを『ジャンクション(=プレイ)』するプレイヤーに、【Final Fantasy 8】を『ジャンクション(=プレイ)』する素質が備わっているかって意味です。

 昔からの「ゲームハード」と「ゲーム好き」って、一緒に成長してきてると思うんですよね。
 どういう事かと言うと、FCソフトなどはとても少ない容量の中、制作陣の涙ぐましい創意工夫によって作られていました。
 当然、容量&技術的に出来る事・出来ない事が出てきます。
 でも当時はそれが当たり前だったので、この頃からのファンは「それが当たり前」と思える資質が根差している訳です。いきなり城の前の平原からゲームがスタートしようが、主人公の歩行グラフィックが正面しかなかろうが「それが当たり前」「別に普通」で通った訳です。

 FCソフトには必要最小限しか詰め込めなかったけど、SCFソフトではゲームの個性や便利なシステム、つまり「ゲームならではの要素」が盛り込めるようになりました。ゲームの個性があるから【FF】は【FF】だし、【DQ】は【DQ】な訳です。パーティメンバーも数が増えて賑やかになったし、それに伴い装備品・魔法・スキルなどの種類も増えました。それを管理する便利なシステムも構築されます。
 この頃のファン&以前からのファンにはやっぱり「【FF】の世界ではそれが当たり前(特徴・個性)」と思える資質が自然と備わる訳です。

 そして、プレステ(PS)の時代。FC・SFCと比べたら、出来る事は格段に増えた筈です。
 なら「じゃあ、これまで以上のボリュームの作品を創るぞ!」と行きたいトコですが・・・スクウェアが「全世界の人々」を対象にしたかったとしたら、ちょっと困ったんじゃないかな?
 他社の例えで申し訳ないですが。小学生の頃に【DQ(FC時代)】やってた人が、30年振りに見た【DQⅪ】で勇者が人様の家のツボやカボチャを躊躇なく破壊してるのを見て「あの頃は何とも思わんかったけど・・・こうやって実際に見ると、結構ヒドイな」って感じる感覚に近いんじゃないかと。
 つまり「全世界の人々」でしかも「新規層」って事は、今までゲームをしてきた日本人プレイヤーにとっては「ゲームなんだから当たり前」で済ませられる「当たり前」が、「当たり前で済まない」。
 「当たり前で済まない」って事は、いちいち「何でこうなの?」「これって何で?変じゃない?」って違和感になる=やっぱり「共感してもらえない」という悪循環再び。

 だから【FF8】は「プレイヤーの資質の差」を埋める為に、「プレイヤーの資質が無ければ受け入れられない【FF】らしさ」を捨てたようなゲームになってるんじゃないかな?
Q「何で1人パーティーなのに、移動中は1人しか居ないんですか?」
A「頑張って3人歩かせます。リノアもおんぶします。」
Q「何も居ないのに、何でモンスター出て来るんですか?」
A「エンカウント制にしようとは思ったけど、容量的に無理でした。」
Q「魔法を使うと『MP』が減るけど、何が減ってるんですか?」
A「今回は個数ストック制にしたので『MP』はありません。」
Q「アイテムはとにかく、何でモンスターがお金を落とすんですか?」
A「今回は給料制にします。カードは名刺代わりです。」
Q「武器って、そんなホイホイ買い替える物かな?」
A「キャラ専用の武器を、大事にカスタマイズするのならイイ?」
Q「みんな体格とか違うのに、防具使い回せるって変じゃないですか?」
A「今回は防具無しにしましょう。」
Q「あんなにいっぱいのアイテム、どうやって持ち運んでるの?」
A「今回は『G.F』が持ってくれてます。」
Q「セーブポイントって、どういう理屈ですか?見えてるんですか?」
A「目視可能な設備です。ちゃんと整備もしてます。」

Q「人の家の中を勝手に漁ってアイテム取るって、盗みじゃないですか?」
Q「何でそこら中に、宝箱が置いてあるんですか?」
Q「他の人達が宝箱を開けないのは何でですか?」
Q「ぶっちゃけ、ラスダンにご丁寧に宝箱あるって変じゃないですか?」
 ・・・等々。ゲームやってる人なら「そんなのゲームなんだから、別にそれでイイやん?」って納得できる「ゲームでは当たり前」を、「全世界の人々」向けに全部「普通の当たり前」に置き換えていったんじゃないかな?
 でも正直、その理由でそこまでやるなら「とことんまでやってやろうじゃないか!」って意地のような物を感じますけどね。何もそこまでやらなくても・・・って言うか。単純に「全世界の人々」が受け入れやすいように調整するなら、もっとストーリーを分かりやすくする方が先決じゃないかな・・・とか。全世界の人々が共感しやすいようにする為だけにしては、ちょっと舵取りが極端な気はしますけど。

 もしかしたら、スクウェアは「世界に合わせたリアルSF路線=【FF8】(1999年2月11日)」と、「あくまでも【FF】らしさを貫くファンタジー路線=【FF9】(2000年7月7日)」。どちらが世界的に受け入れられるかで、これからの方向性を見極めようとしてたのかなぁ・・・?
 最初からそのつもりの同時進行だったのか、【FF8】発売後の評価を踏まえて【FF9】を「原点回帰」的なゲームにしたのか・・・発売時期が一年半後ってどうなんだろ?

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